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12月23日にクリスマスパーティ
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年11月24日(火)01時11分38秒
色々投稿したいことが沢山あるんですが、投稿できなくてごめんなさい。
12月23日(水・祝)に、17会恒例のクリスマスパーティを行います。午後4時頃から8時頃まで、新宿で行う予定です。参加ご希望の方、メールをお待ちしています。
岡江久美子さんが
投稿者:
betti
投稿日:2009年11月13日(金)11時34分56秒
カラオケでシンシアの歌を歌ったそうな。なんとなくうれしいですね。娘さんのブログから。
蟹座さんへ
投稿者:
betti
投稿日:2009年11月 6日(金)21時19分56秒
やはり、最後まで書いてください。有馬・筒美先生の曲の想い出を。”Ms”です。今となっては大好きな曲です。いろんな作詞・作曲者を巡って、やはり最後はこの二人。これなくしては完結しませんよ(笑)。
11/28(土)は・・・
投稿者:
田山雅充プロモ・チーム
投稿日:2009年11月 4日(水)23時19分17秒
お世話になります。田山雅充プロモートチームでございます。
1975年、南沙織さんの「人恋しくて」を作曲して大ヒット。翌76年、自ら歌った「春うらら」が大ヒット・・・の田山雅充!!本年のラストライブです。
いつもシンシアファンの皆様にはご来場賜り、感謝しております。ありがとうございます。
11月28日(土) 東京・曙橋「BACK IN TOWN」
18:00開場/19:00開演予定
ミュージック・チャージ4200円(飲食代別途)
※※本年の締め括りライブは・・華やかにバンドスタイル!お見逃し無く!※※
E.B./Gt.濱田金吾、Key.小坂きよし、Perc.松藤一英、Vlnみっきぃ石内
<お問合先>「BACK IN TOWN」TEL03-3353−4655
新宿区住吉町3−2 第2山田ビルB1
http://homepage3.nifty.com/backintown/index.htm
<田山雅充公式HP>
http://www.h3.dion.ne.jp/~bagus_y/
蟹座さん
投稿者:
かにみそ
投稿日:2009年11月 3日(火)12時46分10秒
今回も楽しく拝見しました。
どんどん大人になっていくシンシアに追いつけなくて、そんなに急がなくてもいいのに…
と思っていたころ、この曲が出ました。
本当にいい具合に力が抜けていて、しかもあっという間に終わる曲ですね(笑)
このあとの第二期のシンシアの曲のコメントも、いつかぜひ聴かせて下さい。
想い出通り
投稿者:
蟹座
投稿日:2009年11月 1日(日)23時21分10秒
今月も、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を発売順に、書かせて頂きます。
☆曲目データ
○A面/想い出通り
○B面/ご無沙汰
○作詞者:有馬三恵子
○作曲者:筒美京平
○ジャケット撮影:篠山紀信
○発売日:1975年4月21日
○オリコン最高位:19位
○売上数:10.5万枚
○備考:
・デビュー時から、シンシアの曲を担当していた有馬&筒美の、ひとまず最後の作品。
・A面、最短演奏時間曲(2分34秒)
☆この曲が流行った頃(1975年年4月〜8月)
・ベトナム戦争終結(4月30日 )
・イギリスのエリザベス2世夫妻が日本訪問(5月7日)
・沖縄国際海洋博覧会開幕(7月19日〜)
☆曲想
・若者が溢れる賑やかな街角、春の浮かれた情景が目に浮かぶ。
・この曲の前年、1974年に発表された曲は、
大人びたもの=「バラのかげり」「夜霧の街」「女性」
深刻で重いもの=「青春が終わる日」「この街にひとり」が目立ったが、
一転して、 ふっと肩の力が抜たような、明るく軽く、屈託がない曲。
ふわっとした前奏から、
>恋人は「底抜け」の顔で、、、、
>そこら「のして」歩いた
「底抜け」の顔とか、「のして」歩く、というちょっと意味不明な、
女学生言葉が印象的。
無邪気にハシャぐ若者たちと、昔の自分を重ね合わせて微笑み、
恋人と別れたことも、あっさり、「想い出」として笑い飛ばしている。
>恋したことだけ残ってて、名前も、もう覚えていないけれども
って、それはないよ!(苦笑)シンシア!
あのあっけらかんのアン・ルイスだって、前年の
「グッドバイ・マイラブ」で
♪忘れないわ、・・・もちろん、あなたの名前
って歌っているのに。
>おなじみの街角を行けば
初期、有馬作品に出てくる「街角」という言葉が使われている。
それも「おなじみの街角」として。
♪夕焼けに誘われて、街角をただひとり(ともだち)
♪ふたりが出逢えた、この街を(早春の港)
♪人に押されて、歩く夕暮れ(色づく街)
♪石につまずきながら、泣いてよろめく(夜霧の街)
も、みな、この「おなじみの街角」で起きたのかな?
☆有馬&筒美作品
デビュー曲の「17才」からこの曲まで連続14曲、
有馬三恵子と筒美京平が、作詞作曲を担当してきた。
出会いの春(「ともだち」、「早春の港」)、
恋の夏(「17才」「夏の感情」)、
別れの秋(「哀愁のページ」「色づく街」)と季節が巡り、
シンシアも17才の少女から「女性」になった。
前回、紹介した「女性」(13曲目)で、一旦、有馬&筒美のシンシア第一期は
完成したと思う。
「想い出通り」は、
その13曲を通じ、歌の中で数々の恋愛と別れを経験したシンシアが
その一曲、一曲を思い浮かべ、
>「私も、あれからいろいろと変わったでしょうか?」
と有馬と筒美に問いかけ、別れとお礼を述べた曲のような気がする。
☆B面「ご無沙汰」
○発売時点で、B面最長演奏時間曲(4:00)
後に「窓灯り」(A面は「青春に恥じないように」)の4:27に抜かれる。
○学生っぽい歌詞
シンシアは現役歌手の時は、ずっと学生でもあったが、
意外に「学生っぽい表現」がない。
この曲で唯一「借りたノート」という表現がある。
あと、当時の若い女性らしく
♪ソウルに凝っている
ソウルって韓国ではなくて、ソウルミュージック。スタイリスティクッスとかかな?
♪決まった時間にご飯をたべることだけはなさいね
お姉さん目線というか、
別れた恋人というよりも、弟に言う言葉ですね。
当時、6歳下の実弟のターミー君が沖縄から上京してきて、一緒に暮らしていた。
時に、シンシアはターミー君を朝早く、起こして
「あなたは将来、どうやって生きていくつもり?」
と問いただしたとか、自分で「私は説教おばさんなんです」
って語っていた。
羨ましいなぁ。シンシアにお説教されるなんて。
では、この「想い出通り」を以って、私のシンシアのシングル曲の思い出の投稿も
ひとまず、終わらせていただきます。
また、書き込むかもしれませんが、どうも、ありがとうございました。
1972年の落語番組にシンシアの姿が?2
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年11月 1日(日)12時38分14秒
「情報7daysニュースキャスター」について、メールをいただきました。ありがとうございます。その方の情報ですと。
グレーぽいロングスカートの女性は多分シンシアだそうです。出ていた番組のテロップは、“1972年1月1日放送「ウルトラ寄席」”と流れたそうです。
他に見ていた方がいらっしゃいましたら、情報お願いします。
1972年の落語番組にシンシアの姿が?
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年11月 1日(日)00時09分40秒
三遊亭円楽さんが、10月29日にお亡くなりになりました。享年76歳、お悔やみを申し上げます。
毎週土曜日の22時から1時間半の情報番組「情報7daysニュースキャスター」が、TBSで放送されています。この番組の最後の方は、芸能ニュースを流します。23時10分頃に円楽さんの映像が流れました。
その内の一つに1972年の番組が流れました。笑点みたいに大喜利(おおぎり)を流していましたが、笑点じゃないタイトルだったと思いますが、読み取れませんでした。この1972年の番組の冒頭、客席最前列の前にシンシアが立っていた気がします。
録画していないので確認出来ません。この番組の4つほどの場面が一回30秒ほどながれました。大喜利の司会は立川談志さんでした。当時、談志さんは衆議院の国会議員でした。
1972年の番組の最後は、「若旦那どちらに」と聞かれて、回答者が答えるというお題だったようです。談志さんが回答者から聞かれて、「国民を代表して国会へ」と答えます。回りが「ふざけるな」とバケツで水をかけています。
私、この場面を見ています。どうして見ていたのか。もしかしたら、シンシアが出ていたので見ていたのかもしれません。
明日の情報番組でも円楽さんの訃報を放送すると思います。もしかしたら同じ映像が流れるかもしれません。
Re.「青空」が
投稿者:
唯
投稿日:2009年10月31日(土)03時50分59秒
すでに、youtubeにupされちゃてますね。
Re.「青空」が…
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月30日(金)22時48分21秒
情報ありがとうございます。見逃しました。地域によってはこれから放送の場所もあると思います(週遅れで)。そちらの方が見逃しませんように。
「青空」が…
投稿者:
おぶ
投稿日:2009年10月30日(金)16時49分3秒
10月28日のザ・ベストハウス123を見てたら、シンシアの歌声が…!
伝説のCMシリーズの第3位に、パナソニックの「きれいなおねえさん」の初代水野真紀のコマーシャルが、でそのBGMにシンシアの「青空」が流れていました。
予期せぬところで懐かしい人に出会ったような、手を止めて聞き入ってしまいました。コマーシャルも全編流れたので、シンシアの声も結構聞けました。
復帰第1作のシングルでした。懐かしいなぁ また歌ってくれないかな。
青空を浮いてるようなPVもよかったな。 皆さんも見ましたか?
全然有り得ない場所で見つけると、得した気分になりました。
日経にレコード針ナガオカの記事(09.10.27)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月27日(火)23時25分49秒
『レコード針 感動刻み続け ◇ファンいる限り生産継続、懐かしい記憶守り抜く◇』
長岡秀樹(ながおか・ひでき=ナガオカ社長)
ナガオカ(山形県東根市)は、国内のレコード針のほとんどを作るメーカーとして知られる。創業者の祖父、デジタルの荒波に耐えた父、そして私は3代目の社長として経営の任に当たる。
1980年代後半、夏の日の深夜だった。社長の父、長岡栄一が自宅のリビングに当時20歳の私を呼び出した。「CDはレコードより優れているのか。レコードは無くなってしまうのか」。思い詰めた表情だった。
「レコードを聴くファンはいなくならないよ」。そう言うと、父は私をまじまじと見た。予想外の答えであったらしい。
−CD登場で販売激減−
国内のレコード針の売り上げは激減していた。ピーク時は月産100万本を誇ったが、89年は数千本に。82年に世に出たCDは86年に販売枚数でLPレコードを抜き、一気に主役に躍り出た。十数年かけてCDが普及した欧米と比べると、日本はまさに“雪崩を打つ”という表現がふさわしかった。
「返品がとまりません」「倉庫は在庫の山です」。現場の悲鳴は日に日に強くなる。父は決断を迫られた。私の一言は背中を押す一助になった。それはレコード針を作り続けることだった。
資産を整理して90年に会社を解散。最盛期に千人超いた社員を数十人に削減、山形ナガオカ(現ナガオカ)を残し、ナガオカ精密(山梨県大月市)と販売会社ナガオカトレーディング(東京・渋谷)を新設した。針の生産継続のためだった。
針メーカーの多くはすでに消えた。私たちは世界の需要の8割超を占める製造会社になった。そのころ、父はよく私につぶやいた。「世界に何十億枚とあるレコードも捨てるのか。時代遅れという理由だけで」。レコードの溝に刻まれた音源と共に、人々の心に刻まれた懐かしい記憶までも捨て去ってしまうようで悲しかったのだと思う。
レコードファンは喜んでくれた。続々と手紙が届き、多いときはダンボール数箱分になることもあった。父は一枚一枚に丁寧に目を通した。91年の雲仙・普賢岳の噴火災害で被災された方からいただいた便りが、私は印象深い。
土石流で家が流された初老の男性だった。残された倉庫でホコリをかぶったレコードプレーヤーを発見、若いころに聴いた曲をかけてみたという。「思い出がよみがえり、涙が止まりませんでした。レコードが聴けなくなると、生きる勇気がなくなってしまいます。これからも頑張ってください」
こんな温かいお客様の心に触れ、父の決意は揺るぎないものになった。「レコード針で飯を食わせてもらったんだから、しばらく続けようや」と言っていたのが、いつしか「オレは絶対にやめないぞ」に変わった。
−事業多角化で活路−
私は外資系のコンピューター会社を退職して97年に入社。2003年、ナガオカトレーディングの社長に就任した。以後、父や先輩と共にレコード針に頼らない事業の多角化に挑んできた。“硬くて小さいものを加工する”原点に立ち戻ることが突破口になった。
そもそもが我が社の前身は、40年設立の長岡時計用部品製作所。機械式時計用の軸受け石を作っていた。終戦後、日本に進駐した米軍が蓄音機に使うレコード針の不足に悩み、精密部品の扱いに秀でた当社に製造を打診したのが始まりだった。つまり針は大本の技術の枝葉でしかないはずだ。
精密測定機器用の触針や小型マグネット、大規模集積回路の検査用プローブピン(先端部品)と、経営の多角化に成功。現在、総売り上げに占めるレコード針の割合は10%程度にすぎない。
それでも、人はナガオカを「レコード針の…」と言う。この事実を私たちは誇りに思う。今年亡くなった父から教わったことが多々ある。特に心に刻んでいるのは、お客様に喜ばれることが仕事の絶対条件であるという事実だ。ナガオカが正道を歩んだ証しが呼び名に込められている。私はそう信じている。
−月産4万〜5万本維持−
20年前の私の“予言”は当たった。針の国内の売り上げはこの10年、月産4万〜5万本で推移。DJブーム、レコードへの回顧の動きは00年から毎年のように起こった。さらには長年レコードを愛し続ける人が時代を超えて存在する証明だと思う。
この先、世代交代が進んでも、デジタルオーディオが技術革新を遂げても、私たちは針を作り続けているだろう。半世紀にわたってレコード文化を守った責任があると思うから。
〔日本経済新聞2009年10月27日(火) 朝刊44面 “文化” 〕
青い服の思い出
投稿者:
seagell
投稿日:2009年10月26日(月)06時16分46秒
編集済
今更ですが、先日加藤和彦さんが亡くなられました。
加藤さんと安井さんご夫婦の曲「青い服の想い出」は、アルバム「哀しい妖精」の中での白眉。
とても好きでした。
安井さんの詩がなくては「Cynthia Street」はなかったし、今でも、あそこから
すっぱり安井さんにシンシアの作詞をまかせていたらと、時々思ったりもします。
もうお二人ともいらっしゃらないという事実は、とても切ない。ご冥福を祈ります。
ミュージックフェアとシンシア
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月23日(金)00時26分35秒
南田洋子さんは、長門裕之さんとミュージックフェアの司会をされていました。3代目司会者として、お二人は1965年6月7日から1981年12月24日放送まで務めています。
シンシアも三度出演しています。1976年の出演では、あおい輝彦さんと「あの素晴しい愛をもう一度」をデュエットしています。この曲は加藤和彦さんの作曲です。
(ウィキペディアより)
『ミュージックフェア』(フジテレビ)
1974年11月12日 - よしだたくろう、かまやつひろしとともに出演
1975年05月13日 - あおい輝彦、麻丘めぐみとともに出演
1976年09月28日 - あおい輝彦とともに出演
今回の訃報を聞いて検索したら、南田さんと長門さんのHPを発見しました。シンシアが1974年に出演した時の写真も載っています。
長門裕之・南田洋子の人間プロダクション:
http://www3.ocn.ne.jp/~nin-pro/index.html
シオノギ製薬:
http://www.shionogi.co.jp/company/program/musicfair.html
ミュージックフェア:
http://www.fujitv.co.jp/mfair/
南田洋子さんがお亡くなりになりました。
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月22日(木)23時20分18秒
先週16日に加藤和彦が急逝されました。享年62歳、ご冥福をお祈りします。
今日になって、南田洋子さんがお亡くなりになりました。享年76歳、こちらもご冥福をお祈りします。
お二人とも旅立つには早すぎるお年であり、歌謡曲ファンとして、慚愧に堪えません。
青い薔薇、いよいよ発売
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月22日(木)01時18分57秒
編集済
サントリーが開発した青い薔薇が、いよいよ来月から発売されます。商品名が「アプローズ(APPLAUSE)」、サントリーのHPによると、「喝采」の意味があり、花言葉は「夢かなう」だそうです。
「夢かなう」なら、青い薔薇を贈りたいですね。
(サントリーのHPより)
「青いバラ」開発の概要
現在栽培されているバラは、世界各地の野生種のバラ数種を人為的に交配するという品種改良によって作られています。四季咲きのバラや黄色いバラも、育種家の情熱と英知により、生み出されました。
青いバラは、過去800年の品種改良の歴史の中で、多くの育種家が挑んできた夢でした。青いバラの開発はこれまで成功しておらず、英語では、「不可能」の代名詞とも言われていました。「最先端のバイオテクノロジーの遺伝子組換え技術を用いれば可能になるはず」。これが夢への挑戦の始まりでした。
以来、14年の年月を経て、2004年にようやく開発の成功をご報告できる運びとなりました。青色色素が花びらに存在する、正真正銘、世界初の青いバラの誕生です。
「サントリーブルーローズ アプローズ」、いよいよ11月3日より販売します。
http://www.suntory.co.jp/company/research/hightech/blue-rose/index.html
あの素晴らしい愛をもう一度
投稿者:
betti
投稿日:2009年10月19日(月)21時37分22秒
編集済
加藤和彦さんの死去、残念です。
「ミュージックフェア」で、あおい輝彦さんとデュエットしてたシンシアを思い出しました。何か別の曲のように感じました。強くって、透き通っていて、ちょっぴり哀愁があって…。そんな記憶です。カラオケに行くと、それ思い出して周りの雰囲気に合わせて歌うのですが、原曲とは合わない!!
でも、シンシアを通じて、色々な曲を知れたことに感謝。
話し変わりますが、「六本木」の件ですが、ずっと考えているのですが、ムード歌謡には出てきてないですよね?。あるんだろうか?。
JASRACの作品データベース検索
投稿者:
u3
投稿日:2009年10月18日(日)21時05分59秒
JASRACの作品データベース検索は、カバーした人の一覧も出るのですね。
「17才」は、よく知られている人たちの他に、マイクハナサーズ、ギムガメイツ、
ギルガメ セクシー メイツ、神山純一&ティム・ハーデン・トリオ、
ヒッパレオールスターズ、ナツメタル LADIES、後藤沙緒里らが
カバーしているようです。
データは完全ではないようで、水島ゆみ「さよならは貴方から」、
NOVA「愛なき世代」なんかはヒットしません。
http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/
RE:週刊アスキー(09.10.27号)に六本木の記事
投稿者:
u3
投稿日:2009年10月18日(日)20時22分2秒
> 辞書サイトWeblioで検索すると、意外にも「六本木」の題名の歌はシンシアがお初のようです。
そんなはずはないはずと思い、JASRACの作品データベース検索で検索すると、たくさんヒットしました。
全部は調べられないので実際はどれが最古かわかりませんが、ヴィレッジ・シンガーズの「六本木の雨の中で」は1970年6月の発売だそうで、Cynthiaの「六本木」よりは古いです。
http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/
週刊アスキー(09.10.27号)に六本木の記事
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月16日(金)10時23分47秒
“荻野目洋子でたどる昭和の若者風俗史”
かって荻野目洋子が歌った『六本木純情派』('86年)と『湾岸太陽族』('87年)は、戦後の若者風俗をなぞる格好の昭和の歌謡曲だ。
『湾岸太陽族』で歌われたのは、'56年に葉山や厨子あたりに登場した“太陽族”。'56年当時ヒットした映画『太陽の季節』で描かれた青春時代の風俗にあやかって名付けられた若者たちのことだ。
原作は、石原慎太郎による同題の小説で、芥川賞受賞作。主演の石原裕次郎は慎太郎の実弟で、本作で映画デビューを果たしている。
映画では、アロハシャツとマンボズボンにサングラスといういで立ちで、親に買ってもらったクルマを乗り回し、湘南あたりでパーティーに興じる中産階級の子弟として描かれていたが、まさに裕次郎の実生活がモデルでもあったのだ。
太陽族の直後の時代には六本木族が登場。彼らも中産階級の若者たちで、大人の街である銀座を避けて六本木に集まり、テレビ局に出入りするロカビリー歌手やニューフェイスと呼ばれる若い役者たちなどと遊び歩いていたという。
本来なら『六本木純情派』や『湾岸太陽族』のあとに“みゆき族”や“アンノン族”、新宿の“フーテン族”や原宿の“竹の子族”と続いてもよかったが、荻野目の昭和路線が、そこまでフォローすることはなかった。
ところで昨今の“族”文化といえば何か? “族”の系譜を研究する社会学者の難波功士によれば、'80年代末の渋カジ族以降“族”集団が消えて渋谷系や裏原系といった“系”へと変化したと指摘。
確かに“アキバ系”をはじめ、“ギャル系”や、“お姉系”、“カワイイ系”など、今どきの若者ファッションをはじめ、トライブ(tribe)はみんな、“系”でくくられることが多い。
(週刊アスキー2009年10月27日号「恋のDJナイト−速水健朗−」P109)
−解説−
週刊アスキーに「六本木」をテーマにした記事があってので抜き書きます。シンシアは1975年アルバム「人恋しくて」に「六本木」を収録しています。
今もですが、「六本木」って憧れの地です。でも近寄る勇気もない魔窟のような雰囲気があります。辞書サイトWeblioで検索すると、意外にも「六本木」の題名の歌はシンシアがお初のようです。
文中のトライブ(tribe)は、この場合は、趣味を同じくする集団のような意味です。
〔六本木をテーマにした楽曲 〕(Weblioより)
六本木 / 南沙織、アルバム『人恋しくて』(1975年12月5日)に初収録。
六本木ララバイ / 内藤やす子
六本木心中 / アン・ルイス、後に相川七瀬、デーモン小暮がカバー。
六本木純情派 / 荻野目洋子
ROPPONGI-雨 / 米米CLUB、アルバム『PUSHED RICE』収録。
六本木レイン / 研ナオコ
六本木のベンちゃん / 小林克也&ザ・ナンバーワンバンド+嘉門雄三(桑田佳祐)、六本木にちなんだ呼称が多数登場する。
よくやるね / 和田アキ子、歌詞の中に「飯倉片町」が出てくる。
六本木〜GIROPPON〜 / 鼠先輩
Roppongi Blues / フィリップ・セス
Weblio:
http://www.weblio.jp/
bettiさんありがとう
投稿者:
ヨシムラ
投稿日:2009年10月13日(火)08時37分13秒
即答下さりありがとう御座います。シンシアを楽しむと共に、もっと勉強します。
ヨシムラさん
投稿者:
betti
投稿日:2009年10月13日(火)00時30分5秒
「あなたの胸で泣けるまで」は 作詞 工藤哲雄 作曲 都志見隆 編曲白井良明さんです。Anthologyのdisc5に入っています。
あなたの胸で泣けるまで
投稿者:
ヨシムラ
投稿日:2009年10月12日(月)23時16分33秒
未発表曲だと知りませんでした。マイチュウブでダウンロードして歌詞は憶えました。作詞者が判りません。何方かご存知でしたら、是非教えて下さい。凄くスピリチュアルな印象を受けて、シンシアの感覚であって欲しい希望を持ってます。宜しくお願いします。
1975年10月10日
投稿者:
betti
投稿日:2009年10月11日(日)09時11分47秒
編集済
京都の伏見桃山城キャッスルランドでコンサートがあったな。今はなき市電の始発に乗って近鉄に乗り継いで、はるばるいったような記憶があります。友達と待ち合わせていたのに来なくって、一人で走っていったのでありました。会場に7時前についたら20人ほどいて、自由席なので開園してから猛ダッシュ。何とか最前列を確保。曲とかは覚えておりませぬ(苦笑)。はじめて間近にシンシアを観たものだから、呆然状態。「は〜ぁ…」、って感じ。ビジュアルで彼女を好きになったときでした。鉄柵があったので握手は無理だったな。
ふわふわとした感じで歌を口ずさみながら帰宅したら、祖母が亡くなっていた!!。急死でした。昨日は命日。おかげで今でも言われます。「あんたはあの時南沙織のコンサートに行っていたんやな」と(苦笑)。さらに祖母の死に立ち会った9歳年下の弟からは、「もうほんまに…、大事なときにいないんやから…。」とまで。でも、「そのおかげで南沙織は覚えられたし・・・」とありがたいお言葉。年上の人とのコミュニケーションに役立つとか。
先日の大阪ミニオフ会でも、キャッスルランドの話で盛り上がったのでありました。もう34年前の話か…。
今日の目がテンは「アイドル」がテーマ(09.10.17でした)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月10日(土)14時43分47秒
編集済
日本テレビで毎週17時からの30分番組、「所さんの目がテン」(通称=メガテン)の今日のテーマは「アイドル」です。テーマを科学的に取り上げる番組なので、どんな展開になるか楽しみです。
http://www.ntv.co.jp/megaten/
-同日訂正-
番組の放送は、来週10月17日でした。訂正します。
シンシアは5位
投稿者:
betti
投稿日:2009年10月 9日(金)18時18分56秒
関西テレビ「よーいどん」って番組で、火曜日になつかしの歌シリーズみたいなものをやっていて、今週は、タイトル忘れたけど、「懐かしのアイドル」的なテーマでシンシアは堂々5位に!!。円ひろしさんがメインの番組です。録画しておいてよかった。男女別、大阪の人の梅田近辺でのアンケート結果です。
女 性 男 性
1位 松田聖子 沢田けんじ
2位 山口百恵 田原俊彦
3位 中山美穂 近藤真彦
4位 キャンディーズ 郷ひろみ
5位 南沙織 舟木一夫
との結果でした。満足です。『17才』のジャケットがあって、46年の出来事のニュースが流れます。紅白にシンシアが出場って、スポーツ新聞に出たんですね。その記事とか。あと100円公衆電話ができたとか、関西だけですけど京阪電車にテレビ車両が設置されたとか、そんなその当時のニュースも流されていました。あとのトークでも結構取り上げられていて、篠山さんのことはさておき、半田健人さんのコーナーなんですが、”Rose garden"が流されて、京平先生は、シンシアに「何が好き?」、って聞かれて、彼女がそう答えたら、それをモチーフに『17才』をつくったとかという、まぁ我々にとっては当たり前の話ですが、そのあとにもう一度『17才』が流され、シンシアの話題で時間は持ったのでありました。多分、その占有率(?)で言えば、もっと上位にランクアップされていると思います(笑)。
祝!引退31周年
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月 7日(水)22時36分37秒
シンシアが引退コンサートを行った1978年10月7日から31周年の日を迎えました。今年は台風18号が近づいていて、日本中ほぼ雨の一日でした。
最近は、各テレビ局が秘蔵映像を出してアイドル特集を組んでいます。輝くばかりのシンシアの笑顔がテレビから流れてきますように。
Re:女性
投稿者:
betti
投稿日:2009年10月 4日(日)17時07分39秒
蟹座さん。いつもありがとうございます。自分帰りみたいです。
「女性」は、僕が13歳のとき。TV番組覚えてませんが、そのバック映像が、冬から春に変わるってなのが流れていて、綺麗だったこと覚えています。それまであまり好きではなかった曲ですが、その映像を見て急に好きになりました(苦笑)。雪で覆われて凍てついていて見えなかった川の流れが姿(?)を現すという感じのやつでした。そして、透き通った青空が…。そのころ、「エースをねらえ」が流行っていて、「冬きたりならば、春遠からじ」って宗方コーチの訓えが…。
でも、この歌詞って、キャンディーズの「春一番」とかぶっていますね。メロディーラインが違うだけ。
この頃やっと、コンサートに行くことを許されたのであったことも想い出しました。
名曲ベストヒット
投稿者:
さとる
投稿日:2009年10月 1日(木)23時03分3秒
デビュー直後の映像が流れましたね。
あの映像は、数年前にも同番組で放映されてましたが、何回観ても本当に初々しいですね。
白いTシャツで歌っているのは、どこかの海辺のイベントみたいですが、歌っている曲は
「島の伝説」!です。口の動きで判りました。あと、当時それしか曲が無かったんですね。
生で観れた聴けた人が羨ましい。
スポ二チには、他にもたくさんシンシアの映像が残ってると思いますから、めぐみさんのように
全員集合の歌唱映像とプラスして発売してくれないですかね、ソニーさん。
テレビ東京・名曲ベストヒット歌謡(09.10.1)2
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年10月 1日(木)21時59分37秒
今回も年代順にその年の曲をかけていきます。1971年の演歌・歌謡曲部門の第3位は「17才」、第2位は「また逢う日まで」、第1位は「私の城下町」でした。第1位の小柳ルミ子さんは、スタジオにいて生で歌っています。
「17才」ですが、21時半頃に映像が流れています。ほぼ1番を歌っています。
映像は、1971年のものです。ファーストアルバムのジャケット写真のパンタロンのシンシアが映っています。ブランコに乗り、マイクで歌い、銀座の歩道を歩いています。
この映像は初めて見ました。テレビ東京、やればできるじゃん。大感謝です。
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