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今月も、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を発売順に、書かせて頂きます。
☆曲目データ
○A面/想い出通り
○B面/ご無沙汰
○作詞者:有馬三恵子
○作曲者:筒美京平
○ジャケット撮影:篠山紀信
○発売日:1975年4月21日
○オリコン最高位:19位
○売上数:10.5万枚
○備考:
・デビュー時から、シンシアの曲を担当していた有馬&筒美の、ひとまず最後の作品。
・A面、最短演奏時間曲(2分34秒)
☆この曲が流行った頃(1975年年4月〜8月)
・ベトナム戦争終結(4月30日 )
・イギリスのエリザベス2世夫妻が日本訪問(5月7日)
・沖縄国際海洋博覧会開幕(7月19日〜)
☆曲想
・若者が溢れる賑やかな街角、春の浮かれた情景が目に浮かぶ。
・この曲の前年、1974年に発表された曲は、
大人びたもの=「バラのかげり」「夜霧の街」「女性」
深刻で重いもの=「青春が終わる日」「この街にひとり」が目立ったが、
一転して、 ふっと肩の力が抜たような、明るく軽く、屈託がない曲。
ふわっとした前奏から、
>恋人は「底抜け」の顔で、、、、
>そこら「のして」歩いた
「底抜け」の顔とか、「のして」歩く、というちょっと意味不明な、
女学生言葉が印象的。
無邪気にハシャぐ若者たちと、昔の自分を重ね合わせて微笑み、
恋人と別れたことも、あっさり、「想い出」として笑い飛ばしている。
>恋したことだけ残ってて、名前も、もう覚えていないけれども
って、それはないよ!(苦笑)シンシア!
あのあっけらかんのアン・ルイスだって、前年の
「グッドバイ・マイラブ」で
♪忘れないわ、・・・もちろん、あなたの名前
って歌っているのに。
>おなじみの街角を行けば
初期、有馬作品に出てくる「街角」という言葉が使われている。
それも「おなじみの街角」として。
♪夕焼けに誘われて、街角をただひとり(ともだち)
♪ふたりが出逢えた、この街を(早春の港)
♪人に押されて、歩く夕暮れ(色づく街)
♪石につまずきながら、泣いてよろめく(夜霧の街)
も、みな、この「おなじみの街角」で起きたのかな?
☆有馬&筒美作品
デビュー曲の「17才」からこの曲まで連続14曲、
有馬三恵子と筒美京平が、作詞作曲を担当してきた。
出会いの春(「ともだち」、「早春の港」)、
恋の夏(「17才」「夏の感情」)、
別れの秋(「哀愁のページ」「色づく街」)と季節が巡り、
シンシアも17才の少女から「女性」になった。
前回、紹介した「女性」(13曲目)で、一旦、有馬&筒美のシンシア第一期は
完成したと思う。
「想い出通り」は、
その13曲を通じ、歌の中で数々の恋愛と別れを経験したシンシアが
その一曲、一曲を思い浮かべ、
>「私も、あれからいろいろと変わったでしょうか?」
と有馬と筒美に問いかけ、別れとお礼を述べた曲のような気がする。
☆B面「ご無沙汰」
○発売時点で、B面最長演奏時間曲(4:00)
後に「窓灯り」(A面は「青春に恥じないように」)の4:27に抜かれる。
○学生っぽい歌詞
シンシアは現役歌手の時は、ずっと学生でもあったが、
意外に「学生っぽい表現」がない。
この曲で唯一「借りたノート」という表現がある。
あと、当時の若い女性らしく
♪ソウルに凝っている
ソウルって韓国ではなくて、ソウルミュージック。スタイリスティクッスとかかな?
♪決まった時間にご飯をたべることだけはなさいね
お姉さん目線というか、
別れた恋人というよりも、弟に言う言葉ですね。
当時、6歳下の実弟のターミー君が沖縄から上京してきて、一緒に暮らしていた。
時に、シンシアはターミー君を朝早く、起こして
「あなたは将来、どうやって生きていくつもり?」
と問いただしたとか、自分で「私は説教おばさんなんです」
って語っていた。
羨ましいなぁ。シンシアにお説教されるなんて。
では、この「想い出通り」を以って、私のシンシアのシングル曲の思い出の投稿も
ひとまず、終わらせていただきます。
また、書き込むかもしれませんが、どうも、ありがとうございました。
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