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オール讀物2006年4月号(4/7)

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年10月 3日(金)11時56分3秒
  【07.京平先生】
〔三田〕
 「17才」以来、多くが筒美京平さんの作曲ですね。
〔酒井〕
 彼女は筒美ワールドにピッタリあっていましたからね。
〔南〕
 だけど京平先生の曲は難しいですよ。
〔酒井〕
 15年前に彼女が久しぶりにレコーディングをしたときに、スタジオにいらした筒美さんが、沙織さんの声を聴いて涙ぐんでいたんですよ。歌声にジンと来たんでしょうね。ふだんそういう表情を見せる人ではないから、とっても印象に残っています。
〔三田〕
 例の石井君が南沙織のまねをするときに、イントロも間奏も全部やるんです。歌のついていない部分の楽器のまねまでやって、彼の芸が完成する。だから僕もあの頃の歌はだいたいイントロまで覚えています。
 だけど、不思議なことに「春の予感」はメロディはすらすら歌えるのに、イントロが思い出せない。考えてみると、「春の予感」は筒美さんじゃなくて、シンガーソングライターの尾崎亜美さんの作曲なんですね。筒美さんのやり方は、もちろん歌のサビの部分に一番力を入れるんだけど、まずはイントロでお客をぐっと掴んでやろうという意図が感じられます。
〔酒井〕
 イントロは、いわば包装紙みたいなものですからね。そりゃあ、筒美さんみたいなプロフェッショナルにとっては勝負の場でしょう。
〔南〕
 「春の予感」は歌いやすいですよ。いま、カラオケに行っても歌えます。だけど京平先生の曲は難しくて、もう困っちゃう。

【08.言葉を突く】
〔酒井〕
 筒美さんはよく、南さんは言葉を突いて前に出してくれるからうれしいという言い方をしていました。筒美さんのリズムは言葉を突いてくれないと生きないんです。
〔三田〕
 言葉を突くという表現は面白いですね。
〔酒井〕
 安室奈美恵さんも言葉を突く人ですね。松田聖子さんもそうです。
〔三田〕
 季節感であるとか言葉を突くという点では、いま一青窈(ひとと・よう)さんにはその匂いがあって好きなんです。
〔南〕
 私も大好き。
〔三田〕
 あの人は台湾育ちだけど、非常に日本語を大事にしている感じがする。
〔酒井〕
 客観的に日本のよさを見抜いているんだと思う。
〔南〕
 最近、すごく外国人ぽく歌う日本人が多いですよね。あまりに外国かぶれしていると、逆に「だったら洋楽を聴きたいわ」と、拒否反応を起こしてしまうことがあります。外国を取り入れていても、やっぱりアジアを感じさせてくれないとつまらないと思う。だから、 一青窈さんはいいんですね。

【09.Jポップ】
〔酒井〕
 昭和から平成になったのと同じころに歌謡曲がJポップになりましたよね。Jポップになったときに、みんな履き違えてしまったんです。沙織さんが言うように、和と洋が渾然一体となったときに、初めていい歌ができるのに。
〔南〕
 私の曲も、当時ほかの人が歌った曲にくらべるとリズム感もあるし、洋楽っぽいかなと思っていたんですが、最近になって、じつはアジア的な要素が強かったんだと気がつきました。
〔酒井〕
 筒美さんは和と洋の配分が絶妙さんですね。Jポップの人がみんな筒美さんの真似をするんだけど、洋を8割、和を2割だと、もう嫌味になってしまう。やっぱり、7・3とか6・4あたりの微妙な比率が心地いいんですよ。

【10.アレンジ】
〔南〕
 京平先生はアレンジにもかなり力を入れていましたね。
〔酒井〕
 アレンジが一番疲れるそうですよ。アレンジはいわばメーキャップですから、それでどうにでも顔を作れます。厚化粧する人もいれば、シンプルにする人もいる。「17才」を森高千里さんほか何人かの方がリメークしましたよね。みなさんそれぞれ頑張っていましたけど、中には本来持っている詞の意味とか、元の曲を壊してしまっているきらいもあったように思います。
〔南〕
 だけど私、カラオケで森高さんのアレンジで「17才」を歌ったことがあるんですけど、自分のより歌いやすかったですよ(笑)。
〔酒井〕
 ちょうど時代の流れにふさわしいサウンドになっていましたからね。南さんの「17才」が浜辺を走っているとしたら、森高さんのは街を自動車で走っているような感じでしょう。
 

オール讀物2006年4月号(5/7)

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年10月 3日(金)11時54分54秒
  【11.子供の感性】
〔南〕
 本当にそうですね。そういえば最近、うちの子供たちが車を運転するときに、まだあまり有名じゃないインディーズの歌手たちが昔の名曲を歌っているCDを聴いているそうで、そういうアルバムがいまの若い子たちにすごく受けてるみたいです。
〔三田〕
 グループサウンズの曲なんかが入っているやつですね。
〔南〕
 そう。和田アキ子さんの歌も入っていて、息子が「いいね、この歌。誰の歌だっけ?」なんて言うんです。うちの息子はまだ二十歳ちょっと過ぎなんですけど、やっぱり'70年代の歌はメロディがきれいで詞がいいと言うんです。
〔三田〕
 いま、若い人で昭和歌謡オタクというか、ものすごく熱心なファンがいますね。例えば、沙織さんご本人が忘れているような昔のB面の歌を知っていたりする。ところで、レコーディングのときにまだタイトルが決まっていなかったせいで、ご自分の歌でも曲とタイトルが結びつかないことがあるって本当ですか。

【12.400曲】
〔南〕
 そうなんです。あの頃は昼間はずっと走り回っていて、夜中はずーっとレコーディングだったでしょう。
〔酒井〕
 そうでしたねえ。スタジオで(午前)1時、2時は当たり前だった。
〔三田〕
 レコーディングの時点でまだ曲名がなくて、譜面にAとかBとか書いてあるだけなんだそうですね。
〔南〕
 アルバムはそうです。もちろんシングルの場合は、最初から酒井さんがつけたタイトルが決まっているんですけど。
〔三田〕
 当時はシングルと同時期にアルバムも出るんですよね。
〔酒井〕
 そう、アルバムも年4枚。だから大変な曲数で、本当に強行軍でした。
〔南〕
 私は七年七ヶ月で引退したんですけど、その間に400曲くらい出しているんです。
〔三田〕
 「17才」から七年七ヶ月っていいですね。七並びで。今年は南沙織デビュー35周年ということで、記念のCDボックスが6月に発売されるそうで。
〔南〕
 これまでも何度かこういうものは出しているんですけど、今度はジャケットを当時のアルバムと同じように紙で作って再現したのと、テレビで歌っている映像をDVDに収録したものが入るそうです。

【13.日本コロムビア】
〔三田〕
 沙織さんの35周年に対抗して(笑)、酒井さんは今年でプロデュース生活45周年。
〔南〕
 じゃあ、私は酒井さんの10年目に出会ったんですね。酒井さん、私とお仕事する前は、どんな歌を作っていらしたんですか。
〔酒井〕
 じつは、もともとは映画がやりたくて松竹に入ったんですが、映画界は斜陽で先行き不安になって、日本コロムビアに入り直したんです。
〔南〕
 最初のヒットはなんですか。
〔酒井〕
 それがね、最初からヒットしたんですよ(笑)。守屋浩さんの「大学かぞえうた」という歌で。
〔南〕
 よかったですね。プロデューサーにも新人賞があればよかったのに。
〔酒井〕
 コロムビアでは社長賞貰ったんですよ。曲は青山和子さんの「愛と死をみつめて」。
〔南〕
 えっ、あの曲? 沖縄でもすごくはやってましたよ。
〔三田〕
 レコード大賞をとりましたからね。
〔南〕
 またテレビでやったんですよね、草(剛)君と広末(涼子)さんで。
〔三田〕
 ああいう実録ものの本から歌謡曲を作るっていう発想は、当時としては非常に斬新的なやり方ですね。
〔酒井〕
 当時、日本コロムビアには美空ひばりさんを担当している人、村田英雄さんを担当している人と、そうそうたる先輩たちがいて、なにをやっても太刀打ちできないわけです。やっぱり自分はレコード会社には向かないんだと悶々としていたときに、、「そうだ映画が好きなんだから、なにか原作を見つけて自分の頭の中で映画をつくって、それに主題歌をつけるつもりでやってみたらどうだろう」と思いついて、何作かやってみた中のひとつが「愛と死をみつめて」なんです。
〔南〕
 あれは映画よりも歌の方が先だったんですね。
〔酒井〕
 レコードが出てから半年くらいしてTBSの石井ふく子さんが「東芝日曜劇場」でやって、それから日活で、吉永小百合さんと浜田光夫さん主演で映画になったんです。じつはそのときに、映画の主題歌を吉永さんが歌うことになっていて、「愛と死のテーマ」というタイトルで日本ビクターから発売されることが決まっていました。ところが、コロムビアの契約課の人が、私が本の版元と交渉したときに音楽化の独占契約を結んでいたことに気がついて、吉永さんの歌は結局発売中止になった。そんな揉め事も逆に追い風になって、どんどん売れ出して、年末にはポンとレコード大賞を貰うことができたんです。
 

オール讀物2006年4月号(6/7)

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年10月 3日(金)11時53分22秒
  【14.紅白1971】
〔三田〕
 南さんは「17才」で第13回日本レコード大賞新人賞を受賞されています。1971年の大晦日は、レコード大賞と紅白歌合戦のはしごを経験されたんですね。
〔南〕
 帝劇(帝国劇場)から宝塚(東京宝塚劇場)まで、パトカーの先導でピューと行くんですけど、このときの紅白のことは強烈に覚えています。トップバッターで宝塚の大階段を降りながら登場するんですが、イントロが3小節しかなくて、しかも階段が急なんです。
私は目が悪いので階段がよく見えないし、ハイヒールを履いてミニスカートですから、もう大変でした。あまりアガるほうではないんですが、あのときだけは階段のところでもうアガってしまって、心細くて間奏のときに思わず後ろを振り向いてしまったのを覚えています。それで、終わったら疲れ切ってしまって、楽屋で寝ちゃったんです。
〔三田〕
 紅白の楽屋は個室じゃないですよね。
〔南〕
 宝塚劇場は個室だったんです。新人は自分の歌が終わったら、着替えて応援に行かなきゃいけなかったのに眠ってしまって、いったいどこに行ったんだと大騒ぎになってしまって。これでもう来年の紅白出場はないなと思いました(笑)。
〔三田〕
 その年は宝塚劇場に爆破予告があって、スタッフもそうとうピリピリしていたみたいですよ。
〔酒井〕
 当時の紅白は、すごい視聴率でしたね。
〔三田〕
 (手もとの資料を見て)1971年は関東地区で78.1パーセント。

【15.紅白1991】
〔南〕
 三田さんと私の出会いは15年前の紅白歌合戦ね。NHKに勤めていたころは毎年紅白のお仕事をしていたんですか。
〔三田〕
 昭和57年から平成3年までは、毎年なんらかのかたちでかかわっていました。沙織さんが紅白で復活出演した翌年にNHKを辞めたんです。憧れの南沙織と仕事できたから、もう思いのこすことはない(笑)。
〔南〕
 そのときの紅白には、自分の中でいろいろな意味があるんです。じつは後悔する気持ちも大きかった。かってのファンの皆さんに久しぶりに見ていただくことができた反面、やっぱり大きな裏切りだったと思います。だって、あれはあくまでも篠山明美であって、もう本物の南沙織じゃないんですもの。言葉を換えれば、私はあの舞台で完全に南沙織を捨てたのかもしれません。
〔酒井〕
 でも、ファンは喜んでくれたじゃないですか。裏切るのもまた愛なんですよ。
〔南〕
 じつは当時、母が病気で、もう一回ステージに立つ娘の姿を見せてあげたいという思いがあったんです。もうひとつ、家でお掃除やお勝手仕事をしている私しか知らない三人の息子たちに、私が歌う姿を一度見せておきたいという気持もあったんです。ごめんなさい、紅白を私的に利用してしまって…(笑)。
〔三田〕
 12月になって、出演を引き受けていただけるか胸をドキドキさせながら麻布の篠山邸にお願いにうかがった夜のことを、いまでも鮮明に憶えています。居間に四谷シモンさんの作った等身大の人形が座っていて、ちょっと怖かった。
〔南〕
 お人形、いまもいます(笑)。あのときは、珍しく主人もテレビに出ていいと言ったんです。NHKからお話がある前に、主人のほうから「君を紅白に出そうという話があるみたいだけど」って言われて、私は聞いていなかったので、びっくりしてしまって。そのとき主人がわりと軽い感じで、「出てもいいよ」って。
〔酒井〕
 あなたは本当に偉いねえ。三人の息子さんを献身的に育て、四人目のやんちゃ坊主みたいな篠山さんをいつもきちんと立てて…(笑)。
〔三田〕
 紅白とか「かくし芸大会」みたいな番組は、’70年代当時もあまり好きじゃなかったと、前にうかがったことがありますが。
〔南〕
 でも引退して十数年、紅白をテレビで見ていたでしょう。それから改めてもう一回出たときに、やっぱり紅白は見るものじゃなくて出るものなんだなとしみじみ分かりました。あれはいい番組ですよ(笑)。
〔三田〕
 やっぱり出演者も裏方も一年の総決算という意気込みが強烈ですからね。
〔南〕
 歌手としては歌っている時間はほんの3分くらいですけど、何かをハイジャックしている一瞬というか、すごくいい感じなんです。
〔酒井〕
 大晦日という特別な時間を全国の人々が共有している特別な場なんですね、気分が高揚するような。
 

オール讀物2006年4月号(7/7)

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年10月 3日(金)11時51分33秒
  【16.紅白2005】
〔三田〕
 去年の紅白はご覧になりましたか。
〔南〕
 それが、今回は初めて紅白が楽しいと思うくらい、じっくりと見てしまいました。
〔三田〕
 僕も全部見たんですけど、お笑いの人たちとかよく知らないから、ちょっと長すぎる気がした。
〔南〕
 そうですね。短くしたほうが重みがあっていいかもしれない。
〔酒井〕
 どんなに地味でもいいから、NHKが自信を持って国民に薦めるものを紹介してほしいですね。あまりお茶の間のご機嫌を取ろうとしないで。
〔三田〕
 自分が中にいたころは、もっと民放っぽくてもいいと思っていたんです。でも、いま外から見ていると、やはりNHKは重厚なほうがいい。いま、NHKはあえて民放っぽくしようとしているところがありますね。アナウンサーが平気で「やばい」なんて言葉を使う。
〔酒井〕
 私はそういうのはダメだと思う。親しみを持ってもらおうとしているのかもしれないけれど、逆に媚びているようにしか見えません。これも世の中の流れだと思いますが、いまは「巨」が負ける時代なんですね。巨人軍の「巨」が象徴的ですが、国鉄も専売公社も民営化された。昔はレコード会社も強かったんですが、いまはアーティスト個人に負けているんです。企画も、誰々がこれをやりたいと言っているからという、セルフプロデュースばかりです。NHKだって巨大だったのに、いまはタレントや歌手に負けてしまっているんです。
〔三田〕
 確かにそれは感じますね。
〔酒井〕
 去年の紅白も一つは出演する歌手に媚びたんですね。歌手の側からいろいろな条件を出して、ゴネ得で何曲も歌える人が出てしまった。もうひとつは、民放で見たことがある人ばかりを使ったでしょう。視聴率が欲しくてお茶の間に媚びたんですね。NHKは視聴率を欲しいと思わないほうがいいですよ。いらないと言ったほうが、お茶の間はついてきます。
〔三田〕
 じつは、平成元年に当時の部長やプロデューサーと一緒に僕も海老沢(勝二)さんとかいろいろな役員のところに陳情に行って、放送時間を第一部、第二部合わせて4時間ちょっとという今のサイズに延ばしたんです。
そのときは、昭和から平成になったからという大義名分があったんですが、それが既得権益になって、そのまま十数年同じくらいのサイズでやっている。元凶のひとりは僕なんです(笑)。
でも、いま酒井さんがおっしゃったように、「もう、視聴率はいりません」と言って昔通りの2時間45分でやったら、逆にすごい紅白ができるかもしれないですね。
〔酒井〕
 紅白にとっては逆風というか、「巨」が負ける時代でもあるし、本当のヒット曲がない時代という不幸もある。だから、「スキウタ」みたいな変化球に頼らざるを得なくなるんですね。
〔南〕
 今回は、古い歌もずいぶん歌っていましたね。
〔酒井〕
 古いなら古いで、戦後60年ということで、もうちょっと何かできたんじゃないかと思うんですが。
〔三田〕
 去年の紅白では、僕は鳥羽一郎さんと山川豊さんの「海の匂いのお母さん」にグッときました。
〔酒井〕
 うん、あの兄弟絶唱の趣向はよかったですね。
〔三田〕
 あと、長山洋子さんが三線(さんしん)を弾いて歌った「芭蕉布」にもしびれた。僕が歳とったせいもあるけど、いま、ヴァーチャルなものに取り囲まれているからこそ、日本人は自分の足元を見つめたい願望をみんな持っていると思うんです。そういう気分にぴったり来る二曲でした。
〔南〕
 私はユーミン(松任谷由実)を楽しみにしていたんだけど、ガッカリしてしまいました。ユーミンがほとんど歌わないんだもの。
〔酒井〕
 何年か前の中島みゆきさんの出方は圧巻でしたね。卑弥呼みたいだった(笑)。
〔南〕
 彼女にはちょっと宗教的な雰囲気がありますよね。
〔酒井〕
 越路吹雪さんが亡くなったときに、あれだけのロング・リサイタルをやる人はもう出ないだろうなと思ったんですが、結局、越路さん衣鉢を継いだのは中島みゆきだった。「夜会」は圧巻です。あの人は歌手というより、じつは女優なんですね。

【17.好きな曲】
〔三田〕
 さて、楽しい座談会もそろそろおひらきが近づいていますが、かって歌ったご自分のレパートリーの中で沙織さんが一番好きなのはどの曲ですか。
〔南〕
 一番というと難しいですけど、好きなのは「色づく街」とか、ジャニス・イアンの「哀しい妖精」とか、「早春の港」といったあたりでしょうか。それと「早春の港」のB面に入っていた曲で、ファンの間ではすごく人気がある「魚たちはどこへ」も好きです。
〔酒井〕
 私は「哀愁のページ」ですね。
〔三田〕
 僕は「人恋しくて」が好きで、聴いていると神宮絵画館の前のいちょう並木を歩いている感じがする。やっぱり詞にもメロディにも描写の妙があるんでしょうね。最近巷に流れる歌を聴いていいても、どこかの風景を思い起こすというようなことはほとんどないですけど、ソングライターたちは、周囲のさりげない描写とか季節感とかをもっと意識したほうがいいと思うんですよ。韓流ドラマを見ていても、会話する恋人たちの息が寒さで白かったりするとジンと来ますものね。
〔酒井〕
 沙織さんのときは最初の一年間、有馬三恵子さんが作詞を担当してくれて、沙織さんが出かける先々に一緒についてきて、彼女の様子を見ながら、あれこれメモしていたんです。だから、あの詞は南沙織本人が書いているんじゃないかとよく言われました。
〔南〕
 いま思えば、有馬先生のほうが私より南沙織のことをずっとよく知っていたみたい。あのころ、私は自分を見つめる意識が全然なかったんです。自分をもっと冷静に見つめることができていたら、南沙織はもっといいお仕事ができたかもしれません。
〔酒井〕
 いや、意識が薄い十七歳だから輝いていたんですよ。あのころのあなたがしっかり自分を理解していたら、二十七歳と言われてましたよ(笑)。
〔三田〕
 ふりかえれば七年七ヶ月という輝きの時間。素晴らしい人生ですね。
〔南〕
 それもこれも、酒井さんのお陰です。

 (オール讀物2006年4月号P320−329)
 

本当に??

 投稿者:betti  投稿日:2008年10月 2日(木)23時22分56秒
編集済
  「ともだち」のジャケット撮影:立木義浩氏?ですか?
おぼろげな記憶ですけど、篠山氏が最初に撮ったのが「ともだち」で、それまではアイドルなんてとらない、って言っていた氏が、それ以降、いろいろなアイドルを撮るようになったというようなことがあった気がします。今手元に、「南沙織 筒美京平を歌う」(だったけ?)があれば判明するのだろうけど。今度お会いできるときに誰か教えてくださいね。
 

ともだち

 投稿者:蟹座  投稿日:2008年10月 1日(水)22時01分42秒
  では、また、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤について、書かせて頂こうと思います。今回は第三弾「ともだち」です。

あまり音楽的なことを、書いてもボロが出るので、思い出話を中心に話していき、シンシアが好きな方に、ひとりでもふたりでも目に留まれば幸いです

☆曲目データ
○曲名/英題:ともだち/BE MY FRIEND
○B面/英題:いつか逢うひと/YOUR FOOTSTEPS
○作詞者:有馬三恵子
○作曲者:筒美京平
○ジャケット撮影:立木義浩
○発売日:1972年2月1日
○オリコン最高位:7位
○売上数:21万枚

☆ジャケット写真
オレンジイエローの背景、同色のベストを着たシンシアが、こちらに走ってきます。腕の振り上げ方、髪のたなびかせ方、決まっています。

☆英題
「BE MY FRIEND」、これは、シンシアもカバーしたアメリカンポップスの「BE MY BABY」を、もじったのかな?

☆曲想
シャイな女の子が好きな男の子に声も、掛けられないという片思いの曲。
シンシアの曲の中で、歌われている女の子の「設定年齢」が一番、若いと思う。
前回、初期シンシアの曲には、季節感があり、夏=恋真っ盛り、秋=別れ、失恋、そして春は出会い、恋愛以前と書きましたが、順番としたら、春、この「ともだち」でデビュー、恋が実って夏、「17才」、失恋して秋に「潮風のメロディ」という、ストーリーも順当かと思います。
その一方、「ともだち」の少女は、「17才」の舞台の海辺のふるさとから、上京して来たとも考えられます。これについては後述。
いづれにしても、直接「春」を思わせる季語はありませんが、その訪れを感じさせる佳曲です。

☆この曲が流行った頃
1972年の2月1日発売。この月、私は高校受験、そして社会的には、世を震撼させた浅間山の連合赤軍事件。さらにプロレスファンの私にとって、前年日本プロレス協会を解雇されたA・猪木の動向も気になった訳で、そういう非常にナーバスで、不安な気持ちを和ませてくれたのが、この曲です。
そして4月の高校進学、新しい生活に、ウキウキする気持ちで、「ともだち」を聞いていました。別に、その当時は、シンシアファンというほどでもなかったし、レコードも買わなかった。歌を聞くのはテレビだけだったが、なぜか印象に残っていました。
「17才」、「潮風のメロディ」と来て、段々、南沙織という歌手が好きになった。
今でも、気持ちが腐った時、この歌を聞くと爽やかになります。

☆このフレーズ
○♪なつかしい、ふるさとの青空を思い出す。
ここで、シンシアを語る上で重要な言葉が出てきますね。「ふるさと」です。そして、その前に「夕焼けに誘われて、街角をただ一人」と「街」が出てきます。
「17才」「潮風のメロディ」の舞台は、海辺。おそらく、この二曲の少女は、海に近い地元に住んでいたけれど、「ともだち」に出てくる少女は、ふるさとを離れて街(都会)に出てきたんですね。つまり、これは沖縄から単身、上京してきたシンシア、そのものなんです。そのシンシアが、まだ街(東京)には「ともだち」がいない。ふるさとの青空のようなお兄さんに憧れる妹路線の歌です。

○♪よその国から来た人みたい
憧れの男性を「よその国から来た人みたい」と歌っていますが、それは私にとってシンシアにも当てはまりました。
当時のシンシアは微妙な魅力があって、アメリカが統治していた沖縄出身、フィリピンとのハーフ、アメリカンンスクールに通う「日本人とはちょっと違う女の子」、でも、完全に「外人=よその国から来た人」でもない。エキゾチックな顔立ちだけれど、日本人とも取れる風貌。
日本人かと思えば、外人みたいなことを言うし、外人にしては日本人っぽい。そういう、ちょっと捉えどころのない「よその国から来た人『みたい』」なミステリアスな魅力がありました。

○♪妹か恋人かともだちになりたい。
シンシアは、私より年上だから「恋人」や「友達」ならともかく、「妹になりたい」と言われても困ってしまった(苦笑)。明らかに、彼女より年上の購買層を狙ったのでしょう。また、この時期、アイドル歌手ではシンシアより年下の人はいなかったので、これで良かったのですが、この年の半ばから、そうも言っていられない状況になりました。この丁度、1年後の「早春の港」では、ぐっと成長して、今度は「お姉さん」路線になります。

☆男性ファンが、初めて(?)少女アイドルに掛け声を掛けた曲
これは、私の記憶だけなので、ハッキリ断定はできないけれど、シンシアがこの「ともだち」を歌っている時、
♪大好きよ〜♪の後で、会場の男性ファンが声を揃えて「ウオー!」と叫んだ。続けて
♪あの人が〜♪ 「ウオー!」
というシーンを確かにテレビで見た記憶があるんです。それが確かなら「ともだち」は、初めて男性ファンが組織的に、女性歌手の歌の合間に「掛け声」を掛けた曲ではないかと思います。
それ以前は、男性ファンが掛け声や声援を送るのは、見っとも無いという風潮がありましたから。

☆「ともだち」の少女は、2年半後に成長して、また姿を見せる。
74年の夏に、また現れるんですよ! それはまた、ここで書きます。
 

上沼恵美子さん

 投稿者:betti  投稿日:2008年 9月29日(月)20時52分21秒
  U3さん情報ありがとうございます。楽しく聞かせてもらいました。関西在住ですと、彼女から時たまシンシア情報が流れます。学校の体育館でのイベントがあったとき、シンシアには楽屋が与えられて、彼女らは廊下で着替えさせられたとか・・・。というか、当時の営業って大変だったんだな。所詮、体育館の楽屋ですもんね。自己主張が激しい、って今となっては当たり前のことなんですよね。  

銀杏BOYZの「17才」、11/19発売決定

 投稿者:u3  投稿日:2008年 9月27日(土)19時18分40秒
  映画『俺たちに明日はないッス』の主題歌、銀杏BOYZの「17才」が
シングルとして11月19日に発売されることが決定したそうです。
http://hatsukoi.biz/news.html

9/22(月)のABCラジオ『上沼恵美子のこころ晴天』で、千里セルシーの
話題から、Cynthiaの名前が出て、そこから上沼恵美子が「このあいだ
息子さんに会った(『怪傑えみちゃんねる』)」という話題になりました。
そのときの模様が、ABCラジオのWebioで公開されています(9/29夕方には
9/29放送分に更新されます)。週末にインターネットにアクセスできない
人がこの投稿を見たときには更新されてしまっているかもしれません。
ちなみに、千里セルシーの話題は22分ころからです。
http://asahi.co.jp/webio/index.html
 

週刊アスキー08.9.30号Jポップの語源

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月26日(金)08時45分50秒
   −ニューミュージックとJポップの起源とは−

 かっては“歌謡曲”と呼ばれていたものが、いつからか“Jポップ”と呼ばれるようになっていた。その起源は、音楽ライターの烏賀陽(うがや)弘道氏によれば、'88'年末から'89年のことのようだ。当時、洋楽中心の選曲だったJ-WAVEが国内の音楽をかける際に、「音楽好きの眼鏡にかなう」ポップ音楽=Jポップ、というふうに定義したのだ。Jリーグより5年早かった。

 いっぽう歴史に目を向けると、'70年代初頭には、それまでの歌謡曲とは違った若者向け音楽として当時流行していた吉田拓郎、井上陽水といったフォーク歌手、ユーミンらシンガーソングライターをひっくるめる“ニューミュージック”という言葉があった。

 “ニューミュージック”という言葉が最初に使われたのは、'72年の五輪真弓のデビューアルバム『少女』の帯のキャッチコピーと言われている。しかし、時代とともに“ニューミュージック”という言葉も、古いオジサンやオバサン世代の音楽とみなされるようになり、TRFやドリカムらが活躍した'90年前後には、街の小さなレコード店の棚でジャンル分けとして残されるのみ。当時増え始めた外資系大型CDショップは、“Jポップ”の名称に乗り換えた。

 言葉が生まれた当初の“Jポップ”は、従来の歌謡曲との差別化のために用いられていたのだが、いまやアイドル歌手でも誰でも、演歌以外はJポップと呼ばれるようになった。むしろ元々の“歌謡曲”という言葉自体のほうが衰退してしまっている状況だ。

 今年は“Jポップ”誕生20周年。この言葉の耐用年数はあと何年だろうか。“Jビーフ”のCMを見なくなった昨今、つとに感じることである。

 (速水健朗コラム「恋のDJナイト」 週刊アスキー2008年9月30日号P97)
 

台風一過で

 投稿者:betti  投稿日:2008年 9月20日(土)17時33分41秒
  「秋の風がふいて〜」の今日ですね。嘘です。暑さが舞い戻ってきました。でも、湿気が取れてやれやれです。

ところで、30年前の今頃、皆さんはどうされていたでしょうか?
僕は9月16日の大阪厚生年金での「さよならコンサート」を終えある意味でシンシアのすごさを知り(満杯)、29日の高槻での関西最後のコンサートに向けて、当日、クラブをサボれるように、コートでボールを追っていた記憶があります。
 

タワーレコード広島店に『Cynthia Premium』

 投稿者:u3  投稿日:2008年 9月20日(土)13時38分42秒
  広島に出張した人の情報では、八丁堀の広島パルコ新館九階にある
タワーレコード広島店の“南沙織”コーナーに、『Cynthia Premium』
のダミーケースが一枚置いてあったそうです。
 

ガリベン「色づく街」2

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 8日(月)22時06分25秒
   「色づく街」のイントロクイズの答えを教えていただき、ありがとうございます。映像流れなかったんですね。残念です。

 この番組、全ての映像に、歌手などの著作権者の許可を取っているのでしょうか。他の曲でも映像が流れない場面があります。例えば、沢田研二さんの場合も、歌は流れますが、映像は出ません。

 今回は、1973年のヒット曲ベスト10が問題になりました。10位から4位までが紹介されます。8位が小柳ルミ子さんお「十五夜の君」でした。4位は、映像が流れなかった沢田研二さんの「胸いっぱいの悲しみ」でした。

 その小柳ルミ子さんの紹介で、「南沙織、天地真理と共に新三人娘として活躍しました」のナレーションが流れました。映像はルミ子さんが歌う映像でした。
 

ガリベン「色づく街」

 投稿者:涼子  投稿日:2008年 9月 7日(日)11時36分19秒
  初めましてパー私の兄が沙織さんのファンだったので、子供の時から家庭内は彼女の話題に溢れ、何となく気になる存在でした。
今現在、息子さんが役者として頑張られてますね^o^
バラエティ番組にも最近たくさん出演されて、大活躍されてますね!!とても真面目そうで好感が持てます。是非これからも頑張って素敵な役者さんになって頂きたいですハートx2
昨夜の「ガリベン」観てました。ご指摘の「色づく街」ですが、斉藤慶子さんが正解されました。しかし、残念ながら映像は流れませんでしたよTдT
 

今週のガリベンに「色づく街」

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 7日(日)00時41分12秒
   毎週土曜日、テレビ朝日19時からの「ガリベン」は、「昭和の歌謡曲」を3週続けて放送しました。

 今週は、1973年のベスト10などが出題されました。あべ静江さん、麻丘めぐみさん、アグネス・チャンなどの映像が。

 イントロクイズが最後に出て、その最後が「色づく街」のようでした。というのは、録画の設定ミスで、2分早く録画が終わってしまい、回答者が回答する直前に終わってしまいました。シクシク。ただ、絶対間違いはないと思います。

 ガリベン:http://www.tv-asahi.co.jp/gariben/
 

Donna Fioreの 「17才」

 投稿者:u3  投稿日:2008年 9月 3日(水)23時12分9秒
   仕事で梅田に出て、少し時間が空いたので、大手レコード屋に
行ったものの、「17才」をカバーしたグループ名を忘れてしまい、
「17才」を検索したところ、“wis-us”以外に、Donna Fioreの
『fiore』収録の「17才」がヒット。何者かわからず、Cynthiaの
「17才」かどうかもわからず、買うのをやめて、帰宅してから
Donna Fioreを検索したら、クラウンのサイトに、曲目が載って
いました。
http://www.crownrecord.co.jp/artist/donnafiore/new_release.html

03. 17才
  (森高千里 作詞:有馬三恵子 作曲:筒美京平 1989)

とあり、ズルッとこけました。よく見ると次のような注記が…。

(カッコ内はオリジナル歌唱アーティスト・作詞曲・発表年)

※M-3のオリジナルは南沙織(1971年発表)ですが、表記上
わかりやすさを優先しております。

うたい文句は、“80年代J-POPのスタイリッシュなカバー集”で、
上記のような注記になったようです。

ということで、メーカーの意図通り、これはCynthiaの「17才」の
カバーではないということで買わないことにしました。
 

10/4(土)は・・・

 投稿者:田山プロモートチーム  投稿日:2008年 9月 2日(火)22時55分1秒
  '70年代、自作の♪あ〜う〜「春うらら」を歌って、大ヒットさせた田山雅充が、 10/4(土)東京・曙橋「BACK IN TOWN」でバンド形式のライブを行います。

田山雅充といえば、シンシア・ファンの間では「人恋しくて」「気が向けば電話して」等々・・数多くシンシア作品の作曲者として皆さん、お馴染みですよね。
毎回毎回、シンシアファンの皆様には、田山ライブにご来場賜りまして感謝しております。
今回も、シンシア楽曲のリクエストご希望の方は・・・きっと、まだ間に合いますよ〜。お早めにど〜ぞ〜。

<ライブ詳細>
'08.10月4日(土) live-house&resutaurannt曙橋「BACK IN TOWN」
    open 18:00  start 19:00
    charge 4,200円 (飲食代別途)

お席はご予約下さい "電話かインターネットで" 8月1日より受付中です。

  お申込は・・・live-house&restourant「BACK IN TOWN」まで
          TEL 03-3353-4655 (11:00〜 23:00)
             URL http://homepage3.nifty.com/backintown/index.html

東京都新宿区住吉町3-2 第2山田ビルB2
(都営地下鉄新宿線「曙橋」駅A2出口より徒歩2分)

♪サポートミュージシャン♪
濱田金吾(Gui./E.B.) 小坂きよし(Key.)
   松藤一英(Perc.)   みっきぃ石内(Vln)

一年ぶりの“BIT”で、一年ぶりの“バンド編成”でのライブ♪
  そして多分、これが年内のラストライブ♪
   是非是非! お見逃しなく〜〜!!


写真. 今回ライブのポスター。

★<田山雅充MIXIコミュ>http://mixi.jp/view_community.pl?id=1818814
★<田山雅充公式HP>http://www.h3.dion.ne.jp/~bagus_y/
★<Wikipedia 田山雅充 >
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%B1%B1%E9%9B%85%E5%85%85

http://www.h3.dion.ne.jp/~bagus_y/

 

潮風のメロディ

 投稿者:蟹座  投稿日:2008年 9月 1日(月)22時56分39秒
  では、先月に続いて、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤について、書かせて頂こうと思います。
あまり音楽的なことを、書いてもボロが出るので、思い出話を中心に話していき、シンシアが好きな方に、ひとりでもふたりでも目に留まれば幸いです

☆曲目データ−
○曲名/洋題:潮風のメロディ/LAST SUMMER
○B面/洋題:なぜかしら/A CHANCE FOR LOVE
○作詞者:有馬三恵子
○作曲者:筒美京平
○ジャケット撮影:立木義浩
○発売日:1971年10月1日
○オリコン最高位:7位
○売上数:24.5万枚

☆曲想
第一作の「17才」=夏=恋真っ盛り、とは一転して、この曲は、秋=失恋をテーマにしています。 洋題は「LAST SUMMER」、イメージが広がります。
シンシアの初期作品は、春=出会い(恋愛以前)、夏=恋、秋=別れ、失恋というように季節感を持たせています。このコンセプトを継いだのが、松田聖子さんとのこと(酒井政利氏談)。

☆この曲が流行った頃
1971年、秋から翌年初頭まで流れていました。私は中3、受験生で、その頃は週に4、5日は学習塾に通っていて、家に帰るのは夜の8時過ぎ、夕食、風呂に入って(入らない日もある)、軽く仮眠というか自然に眠くなる。で、11時か深夜0時ころ起きて、ラジオの深夜放送を聞きながら3時まで勉強、という生活だったので、テレビはほとんど見ていませんでした。
当時の流行歌にも疎くて、なにしろ暮れにクラスメートが発した「オーヤンフィフィ」という言葉に意味が分からなかった。そういう名前の台湾からきた女性歌手がいることさえ知らなかったほどです。

にも関わらず、「潮風のメロディ」は自然に耳に入っていました。デビュ−曲の「17才」より、シットリしていて良い曲だと思いました。ただ季節的に、その時はもう晩秋、女の子が海辺を、感傷的にさ迷うには寒いのでは?といらぬ心配までしました。(苦笑)

☆このフレーズ
♪潮風に吹かれると、思い出す あなたの「こっと」ぉぉ♪
この甘い歌声を聞くと、面白くないことがあっても、許せますね(苦笑)
この「こっと」が「こっと」と「こつと」の中間くらいの発音に聞こえます。いわば小文字と大文字の間、中文字の「つ」とでも言いましょうか?
九州弁では、「こと」を「こつ」と言いますね。もしかしたら、シンシアの日本語は九州弁に近いのかもしれません。

☆裏代表曲
数々のテレビ、映画で挿入されました。
この頃は彼女も売れっ子で、テレビ、映画にゲスト出演して、その時に歌ったのが、この「潮風のメロディ」。そのためか知名度はオリコン上位曲でも、紅白歌唱曲でもないのに、高いような気がします。

この項終わり
 

行列のできる法律相談所08.08.24-01

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時27分40秒
  1/13
「行列のできる法律相談所」

08/24(日) 後09:00 >> 後09:54  日本テレビ

8年付き合ってる彼女います…亀田興毅突然の衝撃告白▽はるな愛の彼▽桑田&清原の秘話に涙

出演者/北村晴男 住田裕子  ゲスト/徳光和夫 はるな愛 篠山輝信 さとう里香 にしおかすみこ 亀田興毅 宮迫博之  司会/島田紳助 松本志のぶ

「人生が変わった!人生のターニングポイント」SP第2弾。徳光和夫は長嶋茂雄の巨人監督解任を取り上げ、はるな愛は真剣に付き合っていた彼氏のお父さんから言われた一言。そして、篠山輝信は父・紀信に何げなく言われた一言。亀田興毅は前回の行列出演の際に、司会の島田紳助に言われた一言をターニングポイントとして挙げる。ゲストはほかに、さとう里香、にしおかすみこ、宮迫博之。

 http://www.ntv.co.jp/horitsu/
 

行列のできる法律相談所08.08.24-02

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時25分12秒
  2/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-03

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時23分46秒
  3/13
1→2
3→4
このように見て下さい。
 

行列のできる法律相談所08.08.24-04

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時21分13秒
  4/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-05

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時19分26秒
  5/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-06

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時17分31秒
  6/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-07

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時15分36秒
  7/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-08

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時13分31秒
  8/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-09

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時11分14秒
  9/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-10

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時08分41秒
  10/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-11

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時05分27秒
  11/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-12

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)01時02分54秒
  12/13  

行列のできる法律相談所08.08.24-13

 投稿者:トナカイ  投稿日:2008年 9月 1日(月)00時59分53秒
  13/13  

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