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色づく街
投稿者:
タロー
投稿日:2009年 6月23日(火)15時59分25秒
私は次のような思いを込めてこの歌「色づく街」を歌うことを提案したい。
今もシンシアが好き。
あなたが歌ってくれていた頃は、まぶしい思い出だ。
街は色づくのにシンシアはいない。
シンシアが歌ってくれていた頃
どれだけ幸せだったかは、
シンシアがいなくなってよく分かる。
何人の参加者がいてくれるだろう。
10人も来てくれたら御の字だろうな。
その人たちと、シンシアの家の前で、色づく街を歌って、郵便ポストに復帰請願書を投函する。
そして万歳三唱をして解散。
まあ、今私の頭でイメージできる事はこんなものだ。
私は8月か9月、10月か11月にもう少し練った集会をしたいと今考えている。
この二回で請願集会を終わりにしたい。
これでシンシアが何の反応も起こしてくれなかったら、私の読みが間違っていたと思う。
私はその間にきっと何らかの動きをしてくれると今は信じている。
シンシアが歌いたくなかったら仕方ない。
その時は家で酒でも飲もう。
今何を
投稿者:
タロー
投稿日:2009年 6月23日(火)11時46分36秒
シンシアは、フアンには絶対の自信があるわ、といいました。
また、私みたいな幸せな歌手はいない、ともいいました。
シンシアは自分のフアンを誇りに思ってくれています。
ではどんな所に誇りを感じているのでしょうか。
それはシンシアのフアンが紳士的だし、機知に富んでいるし、自立している事などではないでしょうか。
一方的に受け取るだけでなく、この掲示板のように、フアンが自主的に活動してくれる。
フアンを頼もしく思ってくれているからではないでしょうか。
そして私たちフアンは、シンシアの期待にこたえるべく、今何をしたら良いかを考えるべきではないでしょうか。
私は自分の年齢は兎も角、シンシアにとっても、転機の時期にあると思うのです。
子供も大きくなったし、シンシア自身がこれからの生活をどうしてゆくべきかを考えていると思うのです。
私は歌手活動を再開してほしいと思うのです。
そしてフアンは、ひそかに復帰を求めるのではなく。おおらかに、声高らかに復帰を求める方が良いと思うのです。
私は何事も愉快にやりたい人間です。
皆さん、面白い企画を持って参加してくれませんか。
シンシアを笑わせるようなアイデアを考えようではありませんか。
シンシア復帰請願行動
集合場所 中央線 水道橋駅
日時 7月3日(金)13時。
これまでの閲覧累計 32名
ダイナミックな考えを
投稿者:
タロー
投稿日:2009年 6月23日(火)00時16分10秒
今日は何人の人に閲覧してもらえたかな、と思って覗いたところ、早速の反論が有って嬉しく思っております。
さてさて、シンシアの気持ちですが、人の気持ちと言うものは変わるものですし、今どう思っておられるのかは、今聞かない事にはわからないものなのです。
現在出来る事は、過去のシンシアの言動から推量することしか有りません。
シンシアは歌への情熱を失っておられるでしょうか。
私は失っているとは思いたくありません。
シンシアは引退後に歌を歌った時の事を、魔が差した、と言っておられます。
シンシアは綺麗に引退した南沙織を大事にしたい気持ちと、歌を歌いたい気持ちを両方持っておられるのだと思います。
それで私は、今私達に歌を歌ってくれることは、決して過去の南沙織を汚すことにはならない、とシンシアに伝えたいのです。
シンシアにしてみても、何もないところに復帰するよりも、フアンのラブコールに応えて復帰する方が自然だし、容易でしょう。
フアンのラブコールはどうすれば出来上がるでしょう。
最初は無です。
そして少数の人が声を上げる。
そして輪が広がる。
だから私は一人でも決行するつもりなのです。
少数だと、シンシアは無視するでしょう。
でもその規模が大きくなれば、復帰してみようかなと考えてくれるでしょう。
この流れを考えてください。
品が無いかもしれません。
礼にもとるかも知れません。
でも熱い情熱は、いつかは伝わるはずです。
歌を歌えるようになる事は、けっしてシンシアにマイナスとはならないと信じています。
私は65歳です。
もう待てません。
私は先陣切って、大きなうねりを作りたいと決心しています。
今のところ、閲覧者は20人に達しておりません。
最初は幾人の人が賛同してくれるのでしょうか。
「ちゃんと生きたからふざけてもいいんだよ」
投稿者:
betti
投稿日:2009年 6月22日(月)23時52分42秒
編集済
が今は好きですね。解説とかはなしに。
シンシアが歌いたい曲があったら、テーマがあったら、そのときは是非にとは思います。僕らがどうのこうのというものでもないな。
でも、いつでも、待っています、ってのは変だな…。シンシアが本当に自分から歌いたい曲があったらというのが本音かな。自ら動かれれば良いわけです。そういう意味で、いつまでも僕らは待っています。まぁ、もしその気になられたのなら、情報はこのページをチェックしておけばいいでしょう。
もう一度。いま大好きなんだな、この曲。自分に歌ってもらっているようで。
ところで、すごいページがありますね、麻丘めぐみファンのやつ。シンシアとの関連のやつですが、負けたって思いましたね。みなさん、サーチしてみてください。でもこれって、皆さんからすれば当然のことかもしれませんね(苦笑
タローさんへ
投稿者:
シンシアのファン
投稿日:2009年 6月22日(月)21時45分33秒
あなたの考え方には、無理があると思います。
まず、シンシアの気持ちを考えてあげてください。
シンシアには、シンシアの考えがあって、今の生活をしてらっしゃるんだから、
そういう不躾なことは、なさらないほうがいいですよ。
シンシアはもう「南沙織」ではないのです。
わかってあげましょうよ。
あなたの気持ちも、よくわかります。
私も、もし、南沙織が帰ってきてくれるなら、この上ない喜びです。
今の、シンシアの生活を、暖かく見守るのも、ファンだと思いますよ。
立て飢えたる者よ!!
投稿者:
タロー
投稿日:2009年 6月22日(月)17時53分43秒
シンシアからの朗報は、やっぱり三顧の礼を尽くしてもらうべきだと思います。
で、提案です。
私はシンシア宅に手紙を持っていこうと思います。
シンシアの歌手復帰に賛同される方を募ります。
一緒に行きませんか。
私一人でも決行します。
集合場所 中央線 水道橋駅
日時 7月3日(金)13時
私は「南沙織」と書いた旗を持っていきます。
沢山のシンシアの歌を求める人の参加を待っています。
当日は「色づく街」を歌いたいと思います。
よろしく。
すみません。
投稿者:
削除
投稿日:2009年 6月21日(日)23時29分36秒
編集済
以前、アップした私のある投稿を編集したところ、間違って新規アップになってしまいました。
全文削除はできないので、このような不躾なお断り文を載せます
すみません
管理人様、お手すきの時は、下の投稿も含めて完全に削除して下さい。
それと、ここの掲示板は、自分の投稿は自分で削除はできないんでしょうか?
(無題)
投稿者:
削除
投稿日:2009年 6月21日(日)23時16分58秒
編集済
削除
春の予感
投稿者:
タロー
投稿日:2009年 6月21日(日)02時18分50秒
私は何故か、もうすぐシンシアがフアンに朗報を告げてくれるのではないかと思えて仕方ないのです。
それは何故か。
今のところ内緒。
もうすぐしたら公表します。
私は今シンシア三昧です。
YouTubeを見ています。
今はいいですね。
レコードを買わなくてもいいのだから。
Vacationは元気な南沙織が見れて、何だか別人のように感じます。
春の風が吹いていたら、これなんか若いシンシアがとっても可愛い。
Music・・・これは初耳でした。
貴重な映像がアップされているのですね。
カムバック シンシア!!
では失礼。
日経エンタテイメント09年7月号に女性アイドルの記事
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月14日(日)23時00分3秒
毎月4日頃に発売される日経エンタテイメントの今月号、2009年7月号には、「女性アイドルの救世主を探せ!」という特集があります。冒頭にアイドルの年表があり、1971年には、新三人娘の名前があります。
それとは別に「アイドル第一号は南沙織」の旨の文章もあります。写真はありません。
日経エンタテインメント!2009年7月号
【特集】
女性アイドルの救世主を探せ!」に発売された
70年代にアイドルという言葉が誕生して以来、何人もの時代を彩るスターが活躍してきた。ここしばらくは“アイドル冬の時代”と言われ、誰もが知る人気アイドルは、ほとんど出てこなかった。しかし、今年に入って、広く支持されそうな、可能性を秘めた歌手やグループの活躍が目立っている。注目は、音楽に軸足を置いた昔ながらのスタイルのアイドルたちだ。
★インタビュー:真野恵里菜
★メンバー座談会:AKB48(高橋みなみ、小嶋陽菜、前田敦子、大島優子)
http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/200907/
訂正
投稿者:
betti
投稿日:2009年 6月14日(日)06時08分40秒
すいません。訂正です↓。
「宵宵山コンサート」に行く予定になりました。日程は7月12日(日)です。コンサートは、たかはしともやさんが中心で…、エイロクスケさんも来るそうです。詳しくは、
http://www.yoiyoiyama.com/
にて。具体的には、後日決めます。
7月13日
投稿者:
betti
投稿日:2009年 6月13日(土)22時15分56秒
7月2日、東京には行けません。ごめんなさい。
でも、京都で、なぜか13日(日)に、祇園の鉾を見て回る「集い」を行うことになりました。このページを通じて知り合った方と。
具体的には何も決まっておりません(笑)。何も出ません。でも、もしよければ、祇園の鉾を見ながら、どっか場所を探して、みんなでシンシアを語り合えたら、と思います。
ありがとうございます
投稿者:
betti
投稿日:2009年 6月10日(水)07時33分46秒
なるほど。早速、注文します(笑)。
雑誌の短編だとは思っていたのですが、ざっと読みしただけだったので…。
しかしすごいですね、トナカイさん。
彼の小説って、何気にすべてが関連しており、医療行政についての分析もそこそこされていて、しかも現在の医療崩壊を題材にしているもので、読んでいて面白いです。
ありがとうございました
Re.海堂尊氏の『ジェネラル・ルージュの伝説』
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 9日(火)23時59分30秒
情報ありがとうございます。『ジェネラル・ルージュの伝説』は、前半が短編小説、後半が作家・海堂 尊さんの小説のデータベースになっています。データベースの中に「用語解説」があり、「カリフォルニアの青空」も用語として取り上げられています。
「迷路最速王」について調べてみますと、用語解説の説明が不十分だとわかりました。B5版で40ページの短編小説「青空迷路」に出てくることがわかりました。
小説の舞台は、年末近くの都心郊外のようです。正月番組用に巨大迷路が作られ、タレントが脱出時間を競います。一番早く脱出できた人を、迷路最速王と呼び、賞金百万円という触れ込みで番組が作られます。
そんな迷路で殺人事件が起きます。巨大迷路は、実際もそうですが、屋根はありません。ですので、天井は青空です。
小説のなかでは、迷路の中には、BGMとして「カリフォルニアの青い空」が流されています。
『その耳には大音量で流し続けているBGM「カリフォルニアの青い空」の旋律が傍若無人に人の心の中で割り込んできていた。』
BGMとして流れるので、おそらくメロディだけが流れていると思われます。でも、用語にシンシアの名が出てくるのは嬉しいです。
『ジェネラル・ルージュの伝説』:
http://tkj.jp/book/?cd=01691201
『このミステリーがすごい!2009年版』(『青空迷路』収録):
http://tkj.jp/book/?cd=01671601
海堂尊氏の『ジェネラル・ルージュの伝説』
投稿者:
betti
投稿日:2009年 6月 8日(月)10時55分22秒
おそらく、過去ログにあるとは思うのですが…。
234ページにて、
[カルフォルニアの青空] アメリカの歌手アルバード・ハモンドの楽曲。日本では南沙織がカヴァーしている。「迷路最速王」のBGMで使用されているのがどちらのものかは不明。
との記述あり。
ひょっとして氏も…。それにしても「最速王」とは??、きっと彼の作品の中でしょうね。
シンシアのお誕生日の集い2009
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 5日(金)01時21分34秒
今年も7月2日が近づいてきました。東京宝塚劇場では、本日から宙(そら)組公演「薔薇に降る雨」が開演します。この千秋楽が、7月5日(日)です。今回は宙組トップ大和悠河(やまとゆうが)さんが退団するさよなら公演です。
http://kageki.hankyu.co.jp/html/index.html
千秋楽にシンシアが観劇する可能性が3割ほどあります。
これを踏まえて、今年のファンが集まる日は、7月2日(木)の夜にしたいと思います。お暇な方は、5日に日比谷に行くのもいいと思います。
お祝いをしたい方、ご連絡をお待ちしています。
トナカイ:Cynthia17s@aol.com
世界ふしぎ発見に輝信さん(09.6.6)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 5日(金)01時13分58秒
今週の世界ふしぎ発見に、輝信さんが回答者として2度目の出場をします。
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/
麻丘めぐみ【週刊大衆09.6.15号】
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 2日(火)23時44分46秒
1/5
表紙と目次
先月から、週刊アサヒ芸能、週刊実話と麻丘さんのインタビュー記事が載っています。とうとう週刊大衆では、表紙も麻丘さんが飾っています。
何かいい時代になったなぁと思います。
麻丘めぐみ【週刊大衆09.6.15号】2
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 2日(火)23時39分51秒
2/5
P64・65
麻丘めぐみ【週刊大衆09.6.15号】3
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 2日(火)23時36分15秒
3/5
P66・67
麻丘めぐみ【週刊大衆09.6.15号】4
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 2日(火)23時32分51秒
4/5
表紙アップ
麻丘めぐみ【週刊大衆09.6.15号】5
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 2日(火)22時22分11秒
編集済
SEXY美女にいんたびゅう 第512回
歌手 麻丘めぐみ
『男と口を利くのも禁止だったアイドル時代!手をつないで彼氏と原宿歩くのが夢だった』
=長い黒髪、チャーミングな笑顔と歌声。16歳で歌手デビューした麻丘めぐみさんは男たちの熱狂的な支持を受け、一躍トップアイドルへと駆け上がった。だがその裏で、彼女は人にいえない悩みを抱えていた。いま明かす、70年代アイドルの光と影…本音に迫るいんたびゅう!=
−麻丘さん、芸能生活50年になるんですってね。3月には50周年記念として『Premium Box〜オリジナル・アルバム・コレクション〜』も発売されましたね。
<麻丘>そうなんです。3歳でこの世界に入りましたから。途中、お休みしていた時期もあって、ずっと活動していたわけではありませんけど、年月的にはちょうど50年。
−すごいですねぇ。デビュー当時はどんな仕事を?
<麻丘>子役として、舞台やテレビに出ていました。私は大阪で仕事をしていましたから、花菱アチャコさんと共演させてもらったこともあります。
−『芽ばえ』で歌手デビューしたのが16歳。あれが最初かと思っていたので、ちょっと驚きました。
<麻丘>みなさんに知っていただくようになったのは16歳からです。それまでは「麻丘みぐみ」もなかったし。
−麻丘さんが歌手デビューした頃って、メチャクチャ可愛かったですよね。もう食べちゃいたいくらい(笑)。あっ、もちろんいまも、とってもおきれいなんですけど。
<麻丘>そんな気を遣わなくていいですよ(笑)。もう30年以上も前のことなんですから、変わって当然です。
−昔の自分の曲を聴いたりすることはあるんですか?
<麻丘>去年から『Meguvision』という、70年代のヒット曲を歌うライブ活動を始めたんです。で、自分の曲も改めて聴き返してみました。
−どう思いました?
<麻丘>こんなんだったのかなあって(笑)。でもあの頃は、やたら忙しくてレッスンもロクにできず、数回歌っただけでレコーディングしたこともありました。けど、私なりによく頑張っていたなと思う。
−70年代の歌を聴くと、なんとなく元気が出るって人って多いんですね。特に40〜50代の人たち。
<麻丘>そうなんですよ〜。私の歌に限らず、楽曲としてもとてもよくできているし、作った人の思いが詰まってる。いま聴いても、色あせず、フレッシュで、曲が背中を押してくれる気がします。
−まるで10代、20代の若い頃に戻ったような気分になれますよね。
<麻丘>元気がなくなってるいまの時代だからこそ、みなさんに聴いてほしいし、一緒に歌ってほしいと思います。
−麻丘さんの場合、『芽ばえ』『私の彼は左きき』と立て続けにヒットを飛ばして大ブレーク。たちまちスターになったわけですが、どんな気持ちでした?
<麻丘>歌がヒットしたのは嬉しかったんですけど、要求されることに自分が応えられるのか不安で、ずっと悩んでいましたね。けっこうクラ〜イ感じで暮らしてましたよ(笑)。
−テレビで見せる爽やかな笑顔の裏に、人にいえない悩みがあったわけですね…。
<麻丘>当時のアイドルって、生活感を見せちゃいけなかったんです。それこそご飯も食べないし、トイレも行かない。むやみに人としゃべっちゃいけないし、休みの日に外に出てもいけない。
−ガンジガラメに管理された生活だったんですか?
<麻丘>そう。何をいっても聞いてもらえなかった。レッスンを受けさせてほしいといえば「わかった」という返事は返ってくるんだけど結局、何もしてくれないまま仕事だけがどんどん入ってくる。私に限らず、みんなそうでした。
−そんな生活だと、ストレスがたまりそうですね。
<麻丘>わけもなく涙が出て、止まらなくなったり…。歌が売れるとか売れないとかよりも、自分が人として認められないってことが辛くて、ダメージが大きかった。
◇ “スカウト組”は楽屋の隅に!? ◇
−男子とつき合ったりしなかったんですか?
<麻丘>なかったです。男の人と口を利くことは禁止されていましたから。あの頃の私の夢は、好きな人ができたら手を繋いで原宿を歩いてみたいと願う少女でした(笑)。
−番組で一緒になった歌手やタレントから、こっそり電話番号を渡されたこともないんですか?
<麻丘>ありません。まだ子供だと思われていたのか、事務所のガードが固くて近寄れなかったか、とにかくそんな雰囲気はなかったです。
−ハイティーンといえば恋する年頃なのに、なんとも寂しいですねえ。
<麻丘>だってどうすることもできなかったんですもの。朝起きたら迎えが来て、現場に行って帰ってくるだけ。どこで何をするか、自分のスケジュールさえ知らない毎日でした。
−でも中には、どうにかしているというか、かなり遊んでる人もいたんでしょ?
<麻丘>それはよくわからないけど、実は私たち、横の繋がりもあまりなかったんですよ。男の人だけじゃなく、女同士でもしゃべっちゃダメといわれてましたから。
−なんですか、それ。意味がわかりませんよね(笑)?
<麻丘>どうやらプロダクションの違う者が集まって、待遇について話されたら困ると考えてたみたい。私たちはそんな気はなく、たわいのないおしゃべりがしたかっただけなんですけどね。
−楽屋でも、自由に話できなかったんですか?
<麻丘>楽屋は一番緊張する場所でしたね。当時はみんな一緒の大部屋で先輩もいっぱいいたし、オーディション組とスカウト組に分かれていましたから。
−対立があったんですか?
<麻丘>そんな大げさなものじゃありませんけど、オーディション組は歌手になりたくて、懸命に努力してきた人が多い。それに対して私たちスカウト組は欲がなくて、ボーッとしているんですよ(笑)。気合が足りないと見えるんでしょうね。よく怒られました。
−「アイツら、たいした努力もしないでポッと出てきやがって、冗談じゃない」と思われたんですね。
<麻丘>そう、そう。口に出さなくても、楽屋の中にそういう空気が渦巻いていました。だから私はいつも、楽屋の隅っこでジッと息を殺していたんです。あれも、けっこう辛かったなあ。
−アイドルといっても、いまと昔ではずいぶん違う。
<麻丘>ぜんぜん違います。いまは本音の時代だから、その人の考え方や生き方が問われる。昔は私生活を表に出さないのがアイドルでしたから。
−インタビューなんかのときも、好きなことはいえなかったんでしょうね。
<麻丘>実はアイドル時代、インタビュー取材は一回もしていません。
−エッ、一回も?
<麻丘>はい。インタビューも対談でも、私がやったのは写真撮影だけでした。文章は後づけで、勝手に作られていたんです。その文章を読んで、「へ〜、私ってこうなんだ」と思ったり(笑)。
−プロフィールとかは?
<麻丘>たとえば私は昔から辛党で、甘いものは苦手だったんです。でもアイドル的には、ケーキとかパフェとなるじゃないですか。「本当はお煎餅やラーメンが好きなのに、なんでこんなもの食べなきゃいけないのかしら」と思ってましたよ(笑)。
−まあ確かに、アイドルにはラーメンよりパフェのほうが似合うかな。
<麻丘>でもね、毎日の食事はラーメンか鍋焼きうどんかチャーハン。それの繰り返しだったんですよ。
−そんな生活が続くんですか?
<麻丘>そうなの。だいたい「何が食べたい?」なんて聞かれないですもん。いつも同じような店屋物ばかり…。
−有名人はいいもの食べてるんだろうなって、想像してましたけど…。
<麻丘>みんな、たいしたもの食べてなかったですよ。お肉を食べさせてもらった記憶なんか、一度もありません。
−地方に行ったとき、その土地の名物を食べたりしなかったんですか?
<麻丘>地方ではホテルのルームサービス。ピラフかナポリタンかカレーですね。外に出たくても、マネージャーにキーを取り上げられてしまうので出られない。
−そ、そこまで!?
<麻丘>そうなると、あとは電話ですよね。まだ携帯電話はないから、ホテルの電話で家族や友だちとおしゃべりする。すると翌朝、自宅以外にかけた電話は全部チェックされて「これは誰なんだ」と追及されるわけですよ。
−なんだか、アイドル残酷物語を聞いてるような気分になってきましたねえ。
<麻丘>精神的に追い詰められて、歌うことが楽しくなくなったりもしました。心から歌が楽しいと思えるようになったのは最近のことです。
−結局、アイドル生活は5年で引退。あのときは悲しかったですよ。
<麻丘>私の中では、それが限界でしたね。
−もっと違う生き方をすればよかったと後悔しました?
<麻丘>いや、それはないです。普通ならばできない経験をたくさんさせてもらったし、泣きながらやったからこそ、いまこうして好きなことをしていられるんだと思います。
◇ アイドル3人でスーパーに! ◇
−生まれ変わっても、またアイドルをやりますか?
<麻丘>うーん、どうなんでしょうか? よくわかりません。それは神様が決めることだから。
−引退から復帰するまでは7年間。この間はどんな生活だったんですか?
<麻丘>普通の主婦ですけど、ちょうど同じ頃、南沙織ちゃんと浅田美代子ちゃんも結婚して引退したでしょ。彼女たちとは仲よしだからよく会って、3人揃ってスーパーへ買い物に行ったりしました。
−その3人がスーパーを歩いていたら大騒ぎですよ!
< 麻丘>そうでもないですよ。それに、自由になれたことが嬉しくて、見られることは気にならなかった。順番にそれぞれの家へ行って、ご飯を食べながら、心ゆくまでおしゃべりしました。幸か不幸か全員、ダンナさんが家にいないことの多い家庭だったので気兼ねなく(笑)。
−失われた青春を取り戻したって感じですか?
<麻丘>そうですね。楽しくてしかたなかった。
−最後に70年代に青春を過ごした人に向けて、メッセージをお願いします。
< 麻丘>いまは大変な時代だけど、みんなで頑張って乗り越えていきましょう。70年代を生きた人たちなら、できると思います。若いときに思っていた50代のイメージとかなり違って、なってみるとまだまだ未熟だし、欲もある。体力もまあまあ残ってる。老け込んでなんかいられないですよ。
−『私の彼は左きき』を聞けば元気が出る(笑)。今年は久々にファンクラブも発足しましたもんね。
<麻丘>そう、そう。昔からのファンが集う同窓会みたいなものです。それと、私、携帯サイトで着ボイスも配信しておりまして、「頑張ってね」とか、いろんな声を入れてます。よろしかったらぜひ、ご利用ください。
=肩の力を抜いて率直に、自分らしく生きている。そんな印象で、凛とした強さと美しさを保っている。こりゃ、男も負けていられない!=
(週刊大衆2009年6月15日号 P64〜67)
http://www.futabasha.co.jp/magazine/taishu.html
−プロフィール−
あさおかめぐみ・1955年10月11日生・大分県出身。59年に大阪梅田コマ劇場で初舞台を踏み、子役・モデルとして活躍。72年『芽ばえ』で歌手デビューし、一躍トップアイドルに。現在は、女優、歌手業のほかに舞台のプロデュースも手がけている。『Meguvision3〜歌謡ヒットパレード』を9月24日に開催予定。ファンクラブ等の情報は、
http://geino.dpn.jp/
※衣装
プリントワンピース=ユキコハナイ(花井)TEL:03-7478-3401
カーディガン=バジーレ28(ファイブフォックス・カスタマーサービス)TEL:0120-114563
ネックレス=ユキ・トリイ・インターナショナル(トリキ)TEL:03-3455-3401
イヤリング=アビステ TEL:03-3401-8101
リング=Forevermark TEL:03-5423-7550
−解説−
当日の麻丘さんが着ていた衣装を売っている店を紹介しています。しかし、女性誌ならともかく、男性週刊誌でもこういうのやるようになったんですね。ファンにはありがたいです。
「この街にひとり」(「バラのかげり」のB面 )
投稿者:
蟹座
投稿日:2009年 6月 1日(月)22時01分48秒
編集済
本日6月1日は、シンシアのデビュー記念日ですね。
おめでとうございます!
では、今月も、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を発売順に、書かせて頂いきます。
今回はB面曲で、「この街にひとり」をとりあげます。
これが、書籍、ネットなどで多く語られたことは記憶にありません。
よく聴くと、これはシンシアの曲として非常にユニークな存在だと思います。
☆曲目データ
○1974年3月21日発売の「バラのかげり」のB面
○作詞者:有馬三恵子
○作曲者:筒美京平
☆曲想
○詞の内容
故郷から、都会に出てきて、ひとり暮らしをしている少女の孤独感を歌ったもの。
その少女にとって故郷は、必ずしも居心地のよい場所ではなかったが、
さらに厳しい都会の生活に比べ、「少し今 故郷が好きだわ」と吐露している。
シンシアが、
地方から都会に出て来た同世代の女の子の心情を、代弁した歌と言える。
彼女もまた、芸能人ということを離れれば、沖縄から上京、働きながら学校に通っている、ひとりの少女でもあった。
「恋・愛」という言葉がない。
シンシアのシングル曲(A面、B面)で、カバー曲の「カリフォルニアの青い空」を除けば、
「恋」も「愛」も、「(あの人、男性が)好き」という言葉も歌詞に出てこない唯一の曲。全く「恋愛をイメージさせない」曲。
物悲しく、わびしい詞
それまでのシンシアの歌は、哀愁がこもっていても、スターとしての華やかさがあった。
しかし、これはスターから、一般人の立場まで降りてきている。
○A面「バラのかげり」とのコントラスト
歌詞的に、「バラのかげり」は別れた男性に、「どうぞ消えて」「いつの日か、あでやかに生まれ変わるわ」と、
キリッと気丈な女を表している。ややもすれば「強がっている」とも取れる。
歌詞には、抽象的な表現多いが、「この街にひとり」は、淋しさを、直接口に出し、
弱音を吐いている、逆に正直で現実的な曲とも言える。
「バラのかげり」のアレンジが賑やかで、勇ましささえ感じるのに、「この街にひとり」は、しっとりとしている。
○フォークソング調で、その後の曲の先駆けになった?
歌詞的にも、メロディ的にも当時、流行ったフォークソングを彷彿とさせる。
それも「神田川」とか「赤ちょうちん」のような「四畳半的フォーク」と呼ばれた世界だ。
そして、1975年5月発売の「想い出通り」を最後に、それまでの有馬三重子&筒美京平ラインを外れ、
中里綴&田山ラインの「人恋しくて」「空色のインクで」「窓灯り」などの地味で、
くすんだ、ある意味でニューミュージック系の曲が始まったが、それらの先駆けと、
言えないだろうか?
☆初めて、そして唯一故郷を嫌った曲。
それまでのシンシアの歌に出てくる故郷は、懐かしく、青い海と、抜けるような大空があった場所、そして自分がいつか帰れる場所であった。
♪小雨にぬれてた、あのとき、いとおしい、ふるさと♪(「ふるさとの雨」)
憧れの男性を、♪なつかしい、故郷の青空を思い出す♪と表現(「ともだち」)。
故郷を知らない都会の、ちょっと頼りない男の子に
♪海辺の青さ、教えたい♪(「早春の港」)
「想い出岬」で
♪ふるさとだけが分かってくれる♪
、とあるように。
だが、「この街にひとり」では、
♪蕎麦が揺れて、死んだような午後♪
♪声を上げ叫んでも、風ばかりで、誰も答えない♪
荒涼とした風景である。
初めて、そして唯一、故郷を後ろ向きに見ている。
最後に、♪いますこし、ふるさとが好き♪とあるが、「あんなに嫌だったふるさとも、
懐かしく思えるほど、都会の暮らしは淋しい」と、あくまでも比較において、
ちょっとマシと言っている。
○参考曲「妹よ」
この「この街にひとり」のちょっと前(73・9・21)に、リリースされたアルバム「20才まえ」に収録されている
「妹よ」、ここで「母を泣かせて始めた街のくらし」と、ふるさとを離れて、「砂漠のような」都会で暮らす少女の心情を歌った。これもシンシアの実像を投影していると思う。
しかし、この曲にある故郷の島は、「日暮れの一番星、緑のきび畑は、こころのよりどころ」と懐かしんでいる。そして曲の中の少女は、故郷の妹に「あなたは、故郷の海辺にいて欲しい」と願っている。
しかし、現実世界で、妹のロージーさんは、翌年、上京して上智大に進学しましたね
祝!デビュー38周年
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 1日(月)15時02分11秒
編集済
シンシア、デビュー38周年おめでとうございます。年を追うごとに、シンシアの歌が光り輝いています。更にワクワクする事が起きますように。
世界ふしぎ発見(09.5.30)スウィート・キャロライン
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 6月 1日(月)00時39分20秒
今週の世界ふしぎ発見、2009年5月30日(土)21:00からの放送は、ボストンの野球場「フェンウェイ・パーク」特集でした。映画「ルーキーズ」封切り記念も兼ねた野球特集でした。映画の出演者が回答者として参加しています。
2008年8月3日(日)に投稿していますが、この球場はボストン・レッドソックスの本拠地で、試合の8回表になると「スウィート・キャロライン」が流れ、全観客が大合唱します。
今回の放送でも、少し取り上げられています。どうしてこの曲が流れるようになったかは謎だそうです。
夜のヒットスタジオ放送
投稿者:
てつ
投稿日:2009年 5月31日(日)22時47分4秒
現在スカパーのフジテレビTWOで「夜のヒットスタジオ」が再放送されています。
6月18日からの放送でついにシンシア登場回が放送されます。
曲は「人恋しくて」で、1975年8月11日放送分です。
http://wwwz.fujitv.co.jp/otn/b_hp/909200031.html
シンシアと麻丘さん
投稿者:
Shigeru
投稿日:2009年 5月31日(日)00時28分0秒
編集済
ご無沙汰しています。久しぶりの書き込みになります。
今晩は赤坂のホテルに宿泊しています。前回東京に来たのが2月の終わりだったので
それ以来約3ケ月ぶりの東京です。あのときは早春でしたがとてもよい天気だったので
少し散策して恵比寿駅から電車に乗って岐阜の自宅に戻りました。
そのとき携帯で撮った写真を添付します。かつて7月7日にCynthiaが降臨(笑)して
くれたときの写真の公園です。梅の花がとてもきれいに咲いていました。
今日は六本木ヒルズで仕事が入っていて49階「タワーホール」というところに
いたんですが、外を見渡しながらこの視界のどこかにCynthiaのご自宅が
入っているんだろうなと思っていました。麻丘めぐみさんの近況を目にして
なんとなく何度か僕らの前に出てきてくれたCynthiaを想いだしてちょっと
羨ましい気分になりました。
麻丘さんはビクター音楽産業の第一号歌手だったんですね。
Cynthiaは当時新興だったCBSソニーの女性アイドル第一号として71年に
会社の総力を上げて売り出したと聞いていますがここでも二人は同じような境遇ですね。
でも確かCynthiaが語られてましたが、最初はビクターからデビューと聞かされてたのが
急にCBSソニーからデビューすることになって驚いたってことでした。
もしCynthiaがビクターからデビューしてたら二人の運命はどうなってたんでしょうね〜。
麻丘めぐみ(週刊実話09.6.11号)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月30日(土)11時52分17秒
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週刊実話2009年6月11日、No22号
表紙(モデルの胸に注目)
目次
麻丘めぐみ(週刊実話09.6.11号)2
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月30日(土)11時47分55秒
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週刊実話2009年6月11日、No22号 P52・53
麻丘めぐみ(週刊実話09.6.11号)3
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月30日(土)11時44分37秒
3/3
週刊実話2009年6月11日、No22号 P54・55
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