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麻丘めぐみ(週刊実話09.6.11号)4
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月30日(土)11時40分0秒
人生劇場 Close Up! インタビュー
麻丘めぐみ(歌手)
◇ 芸能生活50年−今の“わたしの彼”は…? ◇
=1970年代歌謡ポップスを牽引した麻丘めぐみは今年、初の舞台に立った日から芸能活動50年。出産、離婚、そして復帰と、かってのトップアイドルは人生経験とともに輝きを増すばかり。=
−3歳の初舞台から50年、振り返ってみてどうですか。
「本当に運がいいというか、神様が与えて下さった50年だと思っています。ただ申し訳ないんですが、歌や音楽がこんなに素晴らしいということが実感できたのは、この何年かでなんです。一時は“麻丘めぐみ”を背負い過ぎて、その重圧や期待感に負け一度止めてしまった。
でも何十年も経ち、こうして改めて自分の歌を思い返してみると、とても楽曲として素晴らしいし、歌わせて頂けた幸せがものすごくあるんです。これをしっかり受け止めて自分の声が出る限り歌っていくことが、作って下さった先生やスタッフの方たちに対する感謝の気持ちになるのかなと思っています」
−ファンの方のためでもありますよね。
「そうです。それで、これからちゃんと音楽をやっていこう、楽しく音楽をやっていこうと思って、去年から『Megu-Vision』と銘打ちライブ活動を始めたんです。
そこでは私のステージを楽しみにして下さった30年来のファンの方々にもお会いできて、すごく喜んで下さって…。本当に申し訳ないことをしたなぁ、何で歌って来なかったんだろうっていう思いが生まれて、そういう方々に恩返しのつもりで歌っていかなきゃって、すごく感じました」
−今年1月のライブでは、ミニスカートでの登場が話題になりましたね。
「歌に関してはキーを変えてないので、当時の楽曲のままお届けできるとは思っていました。ただ、それだけではどうかなぁと考えて、ミニスカートで当時を再現したら面白いかもと思ったんですね。それでも、あまり無理のない程度に、昔と違うけど風味を残しながらというところで(笑)」
−結果、かなりの評判で大成功でした。
「喜んで下さいましたよね。スタッフも大笑いしながらも喜んでくれて(笑)。そういう意味でも、やっと音楽というものを楽しんでやれるようになったし、お客様と共有できる自分の持ち歌があるというのはラッキーなことだと実感しました。これは本当に宝物ですよ」
−3月にはCD12枚組のプレミアムボックスが出たわけですが、こういう形はなかなか出せるものではありませんよね。
「しかも私は全然知らなかったんですが、ファンの皆さんがビクターにお願いして下さっていたらしいんです。それで、出るらしいっていう話を聞いて、えぇっ!そうなんだ!って。パッケージの製作にあたって、当時のLPもファンの方に提供していただいたそうです」
−ファンクラブもできたそうですね。
「おかげさまでこの度、なぜかできました(笑)。前々からファンの方の中では、作ってほしいというお話はあったんですけど、私的にはこの齢で気恥ずかしい面もありましたし」
◇ ジャニーズファンに狙われた女子高生時代 カミソリ、藁人形も送られた ◇
=麻丘めぐみが歌い始めた70年代初期から、歌謡曲自体が変わり始めていた。ポップス的要素が加わり、歌い手もただ直立して歌うのではなく、フリをつけるようになった時代だ。=
−70年代の楽曲は、筒美京平さんのものですよね。
「筒美京平さんと千家和也さん(作詞)が多いですが、その時代に活躍した作曲家・作詞家のほとんどの方に書いて頂いてます。私たちの前の時代というのは、作曲家も作詞家もレコード会社の専属制度みたいなものがありましたが、それが解かれて、何年か経ってからですからね。筒美さんにしても都倉俊一さんにしても、新しい方たちが出てきた時期でした。
ディレクターさんも、私の場合は元ヴィレッジ・シンガースの笹井(一臣)さんだったんですね。音楽活動をやっていた方が、全く新しい感覚で取り組みだした時でした」
−新しい歌謡曲を作っていこうと…。
「特にビクターは、それまで“演歌のビクター”と言われていて、ポップスがなかったんですね。私は『ビクター音楽産業』(72年に日本ビクターから音楽制作部門が独立。現・ビクターエンタテインメント)で第一号だったので、これを当てないと音楽産業として独立してやっていけないという、まさに社運をかけた状態。
だから、社員の方も皆さん本当に熱心にやって下さいました。その積み重ねが、あそこまでのヒットに繋がったんだと思います」
−歌手デビュー曲の『芽ばえ』(72年)は日本レコード大賞新人賞、『わたしの彼は左きき』(73年)は“左ききブーム”を呼んだほどの大ヒットでした。あの頃は世間に対する歌の影響力が凄かったですね。
「私の曲だけでなく、レコード自体が売れた時代ですからね。一曲ヒットすると、テレビやラジオで毎日その曲が流れ、子供からお年寄りまで皆その曲を一生懸命覚えたっていう時代。そんな背景も良かったんだと思います」
−麻丘さんは、“振り付き歌手”のハシリですよね。
「そうですね。振り付けをして歌うアイドルとしては、私や同期の郷ひろみさん、西城秀樹さん、ちょうどその時代でした」
−男性アイドルのファンからは、ずいぶん嫌がらせがあったと聞いています。
「ちょうど新御三家(郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹)と私は同じ齢で学校も一緒で、仕事もほとんど毎日一緒だったんです。それであらぬ想像をされたんでしょう。それこそカミソリとか藁人形とか送られたり、実際に髪の毛にガムを付けられたことも3回ぐらいありました。
歌っていてミカンを投げられたり、トイレットペーパーを投げられたりしたこともありましたね。本当に怖かったですよ。いまだに女子高生の制服姿を見ると、当時の私をふと思い出してしまうぐらい」
−昔のお仕事の様子を見ると、よく小柳ルミ子さんとご一緒しています。
「デビューした当時から可愛がっていただきました。当時はスカウト組とオーディション組があって、ルミちゃんはオーディションで宝塚から入りましたが、私と(南)沙織ちゃんと(浅田)美代子ちゃんはスカウトされて歌の世界にポッと入れられた感じ。
基本的に意欲が見えないというか(笑)、よく分からない状態で歌っていたんですね。一生懸命自分なりにやっているつもりなんだけど、ルミちゃんに『ちゃんと頑張りなさい!』って怒られていました。ルミちゃんは歌っても踊ってもOKですからね。
例えば年末の隠し芸大会が近づくと、私と沙織ちゃんはものすごく暗〜くなっていたんです。当時は忙しい中、ほとんど稽古もないんですよ。日舞はまだしも、洋舞はいろんな格好をして踊らなくちゃいけなくて、もう恥ずかしくて恥ずかしくて。そこでいつもルミちゃんが愛情を持って怒ってくれて、いろいろ教えてくれました」
◇ 今のブームを終わらせたくない ◇
=この10年間、自ら主催する演劇集団『シアタードリームズ・カンパニー』の活動を続けている麻丘めぐみ。公演にはもちろんお金がかかり大変そうだが、そうまでするのには理由がある。=
−『シアタードリームズ〜』では、普段は演出や監修をされていますよね。
「自分の出る公演は、お金の事情もありまして4年に1度ぐらいしかできないんです。これまで2公演で自分が出て、あとは制作・演出。それも2人ぐらいでやっているので、実際には何でもやらなくちゃいけない。自分が出るものに関しては、60歳までに一本何かやりたいと思っています」
−演出することによって得ることは何でしょう。
「こちらから発信していくというのは、自分のモチベーションを下げないためということもあるんです。受けてやるのとは全然違う。“自分がやりたいって言ったでしょ”って、自分に対するプレッシャーもありますから。
この世界で長くやっていると、周囲の人が気を使って忠告などしなくなるので、自分で自分にダメ出しをしていくしかないんです。そうすることで、自分の課題が見えてくるんですね。
演出では高い授業料払ってやらせて頂くことでも、それで得るものは大きい。マネージャーをはじめスタッフも、今では“やらせておかないとダメだ”と考えてくれるようになりました」
−話は歌に戻りますが、6月7日にはホテルオークラで、ヒット歌手を集めたディナーショー『昭和のヒットパレード』がありますね。
「一昨年ぐらいから70年代の歌謡ポップスがブームになりました。これをブームで終わらせたくないとは思っています。今の不況で元気のない時代に、どんな歌が元気になれるのかって考えると、やっぱり元気な時代の歌って力があるんですよね。それが70年代の歌。私の『〜左きき』だけでなく、他の方の歌も、歌うと元気になれるんです」
−声を保つために何かされていますか?
「私は声帯が強いみたいで、声が出なくなったことはあまりないんですよ。カムバックした後は、10年以上ヴォイス・トレーニングをしていますし、大丈夫です。歌ってないと声はすぐ出なくなりますけど、歌っていると果てしなく出るようになるんですよ」
−最近のプライベートはどうですか?
「地味〜に暮らしてますよ(笑)。趣味がなかったんですが、1年前から陶芸を始めました。当初は、陶芸って山の中に行かないとできないかと思っていたんですが、お友達に『いまは電気窯よ』と言われて、そうか!と。陶芸をしている時間は楽しいですね。
“楽しい”ことにも静と動があって、陶芸は静なんです。時間があるときは週一のペースで、先生が驚くぐらい昼ごろから夕方までお茶も飲まずにずーっとやっています」
−再婚などは考えていますか?
「性格的に再婚したかったらすぐにしているので、まだ相手に巡り合っていないんでしょうね。でも離婚後もそれなりに恋愛はしてきましたし、自由にやってきたつもり。たまたま結婚に至らなかっただけです。
ただ、自分の中でいちばん大事なのは娘で、それは生涯変わりません。大切な友達も多いですから、今は穏やかに暮らしたい気持ちが強いですね」
−最後に、熟年世代へのメッセージをお願いします。
「自分にもいえることですが、楽しんでできることを見つけて動き出そう! その何かを見つけることが難しい方もいると思いますが、それなら歌もありますよ。
歌って健康にもいいんです。下手だと思っても、誰かと一緒に歌えば大丈夫。私もライブだけでなく、ジャズクラブやボランティアでも声が出る限り歌っていきたい。いつかどこかで、これを読んでいる方と一緒に楽しい時間を過ごせたら最高です」
(週刊実話2009年6月11日、No22号 P52〜55)
http://www.nihonjournal.jp/web/jituwa_200922/index.html
麻丘めぐみ(週刊実話09.6.11号)5
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月30日(土)11時31分41秒
編集済
−解説−
インタビューの中にあった「昭和ヒットパレード」は、新型インフルエンザの流行のために中止になっています。残念です。
(興行主告知)
新型インフルエンザ流行に伴うイベント中止のお知らせ
拝啓
早夏の候、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、新型インフルエンザの感染が確認され、感染拡大が懸念されている状況をうけて、5月24日(日)、5月31日(日)、6月7日(日)に予定しておりました当社主催の「昭和ヒットパレード」を大変残念ながら中止させていただきます。多数のお客様がお集まりいただくイベントは、このような状況では中止せざるを得ないという結論に達しました。苦渋の決断ではありますが、未曾有のことでもあり、何とぞご理解いただきますようお願い申し上げます。楽しみにされていた皆様には、心よりお詫び申し上げますと共に、誠に申し訳ごさいませんが、何とぞご了承の程よろしくお願い申し上げます。末筆ではございますが、今後の皆様のご健康と発展をお祈り申し上げます。
※ 既にチケットをお買い求めの皆様へ今後の対応及び払い戻し等に関しましては、順次対応させていただきますので、そのまま捨てずにお持ちになっていて下さい。
敬具
株式会社レオンプロモーション
http://www.leonpromotion.com/
徹子の部屋(09.5.19火)内容
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月30日(土)09時53分27秒
報告がとっても遅れてすいません。当日の紀信さんは、黒っぽいスーツに白いシャツで、結婚式に行くかのような姿でした。今回の会話の大半は、紀信さんが新しく出した写真集のことでした。今まで秘蔵してきた写真も多数載っています。41年前に撮った黒柳さんの写真も載っています。
黒柳さんの方からシンシアの話題を振ってくれます。今日の服装について、決まっているとほめると、紀信さんが言います。
「“徹子の部屋”は皆さんおしゃれして行くのでと言われて」とか言い、黒柳さんが「奥様の見立てですか」とか聞くと、紀信さんが「ハイ」とか言っています。
紀信さんて、本名で「みちのぶ」と読むのですが、誰も読めないので「きしん」の通称名で通しているそうです。時々、「みっちゃん」と呼ばれる事があって、そんな時は親戚かとドキッとするそうです。
番組の最後、黒柳さんが次のような事言っていました。「最近、次男の方とクイズ番組でご一緒していますのよ」、「世界ふしぎ発見」の2008年11月22日放送の事を言っているようです。
こんな感じで、黒柳さんの見事な話術でシンシアの雰囲気を感じられた放送になりました。
http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/back2000/html/090519.html
徹子の部屋ゲストは紀信さん(09.5.19火)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月15日(金)13時30分45秒
色々情報ありがとうございます。尾崎亜美さんの最新セルフカバーアルバム「Reborn」にも、「春の予感」入っています。
来週火曜日の徹子の部屋のゲストは、紀信さんです。
NHKテレビ「Songs」
投稿者:
ヨハナーン
投稿日:2009年 5月13日(水)23時59分34秒
きょうのNHK総合テレビ「Songs」は尾崎亜美さんでした。
番組冒頭、いきなりCynthiaの映像で『春の予感』が出ました。
番組の中で、ソムリエの田崎さんがワインを選んだ場面で、尾崎さんのナレーションがあります。
「私の作る曲の歌詞には、よく食べ物や飲み物が出てきます。南沙織さんに提供した『春の予感』もそうです。透明感のある南沙織さんを見たとき、ワインのイメージが湧きました。1978年私が二十歳の時に初めて他人に書いた曲です。聞いて下さい。『春の予感』」
ここで尾崎さんの歌で『春の予感』が始まります。
BSでの再放送もあると思います。
今晩、テレビ朝日で歌謡番組2時間(09.5.9 19:00-20:54)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 9日(土)10時25分26秒
『サタスペ! お宝昭和歌謡満載!!クイズみんなの懐うた』
05/09(土) 19:00-2008:54 テレビ朝日
大女優の(秘)歌手映像倍賞千恵子も大竹しのぶも由美かおるも浅野ゆう子も…蔵出し連発▽涙の歌謡大賞名場面森進一・新沼謙治(秘)Q▽名曲脳トレQ&カラオケ熱唱…徳光・岡江・麻丘めぐみ・ピーター
出演者/徳光和夫 岡江久美子 麻丘めぐみ ピーター 勝俣州和 大沢あかね 司会/東野幸治 下平さやか 前田有紀 その他/倍賞千恵子 大竹しのぶ 由美かおる 浅野ゆう子 森進一 新沼謙治
http://www.tv-asahi.co.jp/sat-sp/
私にとってのバラのかげり
投稿者:
タロー
投稿日:2009年 5月 7日(木)00時57分30秒
「バラのかげり」は私にとって、とても記念すべき曲でした。
この曲が出る少し前だったと思いますが、私は惚れていた女性に見事に振られました。
振られる理由が分からず、神様を呪ったほどです。
そしてこの曲を聴き、立ち直りました。
この曲を私はこう聞いています。
私は別れを言う女を追いかけたのですが、曲は違いますね。
「どうぞ消えてあなた」です。
そう、私はこの曲を聞きながら、別れをやり直したのです。
その女性は今も好きです。
勿論再会などしてはいませんが。
今も、「何時の日かあでやかに、しなやかに、出直して見せるわ」と誓うのです。
RE:2009.5.3(SUN)のテレビに紀信親子
投稿者:
u3
投稿日:2009年 5月 3日(日)08時25分4秒
編集済
> 1.紀信さん
> 「日曜美術館」(NHK教育テレビ9:00〜9:45、20:00〜20:45)
>
> 日曜美術館「アングル 革命の裸婦」
>
> チャンネル:教育/デジタル教育1
> 放送日:2009年 5月 3日(日)
9時からの分の放送は4月26日に済んでおり、本日5月3日の放送は、
片岡球子さん(銅版画家)「描きたいものを描きたいように描く」で、
20時からの再放送が紀信さんの分です。
2009.5.3(SUN)のテレビに紀信親子
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)03時10分24秒
編集済
今日の夕方、紀信さんと輝信さん出演の番組が続きます。4月27日にも情報を投稿していただいています。
1.紀信さん
「日曜美術館」(NHK教育テレビ今晩20:00〜20:45−再放送分−)
日曜美術館「アングル 革命の裸婦」
チャンネル:教育/デジタル教育1
放送日:2009年 5月 3日(日)
放送時間:午後8:00〜午後8:45(45分)
番組内容:19世紀フランス絵画の巨匠アングルは革新的な表現で裸婦を次々と描いた。スタジオゲストに写真家の篠山紀信さんを迎え、アングルの創造の源に迫る。
出演者:写真家…篠山紀信,【司会】姜尚中,中條誠子,【声】園部啓一,加藤優子
日曜美術館:
http://www.nhk.or.jp/nichibi/
2.輝信さん
「旅の香り」(テレビ朝日18:30〜18:56)
野際陽子さんが、若手イケメン俳優の篠山輝信さんと信州・軽井沢へ。美味しい手作り工房が軒を連ねる軽井沢をめぐります。
旅の香り:
http://www.tv-asahi.co.jp/tabinokaori/
-同日午前10時訂正-
上にU3が教えてくれたように放送時間間違えていました。日曜美術館は、20時からの番組を翌週の日曜9時から再放送しています。訂正します。
-2009.5.12(TUE)訂正-
再度放送時間を間違えていました。日曜美術館は、朝の9時からが第一回目の放送で、翌週の夜8時からが再放送です。10日の朝の放送見たら違った番組でした。重ねて訂正します。ごめんなさい。
日刊ゲンダイに紀信さん(09.5.1)
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)03時08分15秒
日刊ゲンダイ2009年5月2日(1日発行)第9面
CDジャーナル09年5月号
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)02時19分26秒
CDジャーナル09年5月号P61
保存版!歌謡曲大百科 100人の100枚
17枚目(^o^)
017 南沙織 ゴールデン・Jポップ〜ザ・ベスト(SR・SRCL-4414〜5)1998.11.21発売
『71年、返還前の沖縄から“来日”しデビュー。本人が好きだった「ローズ・ガーデン」を模して、筒美京平が「17才」を書いた。』
CDジャーナル09年5月号2
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時42分2秒
CDジャーナル09年5月号P54
CDジャーナル09年5月号3
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時39分26秒
CDジャーナル09年5月号P55
CDジャーナル09年5月号4
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時36分40秒
CDジャーナル09年5月号P56
CDジャーナル09年5月号5
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時32分45秒
CDジャーナル09年5月号P57
CDジャーナル09年5月号6
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時30分1秒
CDジャーナル09年5月号P60・61
CDジャーナル09年5月号7
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時26分43秒
CDジャーナル09年5月号P62・63
Re.CDジャーナル5月号
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 5月 3日(日)01時16分49秒
情報ありがとうございます。P49〜65までの特集です。データをこちらに書きます。
CDジャーナル 2009年5月号
2009年4月20日発売 定価880円(税込)
特集『歌謡曲大百科』
創刊25周年を迎え、今月から始まる100枚シリーズ。第1回のネタはずばり"歌謡曲"。70年代、80年代、90〜00年代、という3つの大きなカテゴリーで、ベタに歌謡曲の魅力にせまります!歌謡曲のジャンルに入る100人の歌手の100枚を紹介する保存版ページもあります。
○それが歌謡曲の魅力だ(ECD)
○『ザ・ベストテン』へのレクイエム 今、歌謡曲を聴くということ!(ばるぼら)
○細野晴臣 インタビュー(渡辺 亨)
○細野晴臣と歌謡曲(安田謙一)
○[Step1 70年代]歌謡曲の黄金期!混沌とした日本のポップス界のなかで(安田謙一)
○大人の叙情を若々しい感覚で描き出す〜由紀さおりによる“現代の歌謡曲”(北中正和)
○[Step2 80年代]私はアイドル アイドルのレコードが大量にあふれていた時代(保母大三郎)
○今もピコピコしてる!ドキドキしてる!〜テクノ歌謡のスピリッツとは(村尾泰郎)
○[Step3 90〜00年代]J-POPという時代 本質的な意味で歌謡曲は失われない!(田口寛之)
○桑田佳祐のひとり紅白歌合戦〜昭和の文化はしぶとく生き延びる(鷺沼晶良)
○保存版!歌謡曲大百科 100人の100枚
歌謡曲まんが(大橋裕之)
……and more!!
音楽出版社:
http://www.cdjournal.com/main/top/
バラのかげり
投稿者:
蟹座
投稿日:2009年 5月 1日(金)22時32分49秒
毎月、月初めに、この伝言板をお借りして、シンシアのシングル盤を発売順に、書かせて頂いています。シンシアが好きな方に、ひとりでもふたりでも目に留まれば幸いです。
☆曲目データ
○曲名/バラのかげり
○B面/この街にひとり
○作詞者:有馬三恵子
○作曲者:筒美京平
○ジャケット撮影:篠山紀信
○発売日:1974年3月21日
○オリコン最高位:15位
○売上数:13・6万枚
☆1974年のシンシア
この年、シンシアは20才になり、同時にハイスクールを卒業。大人へのイメージチャンジを図った。
第一弾が、この「バラのかげり」、夏に、ちょっと際どい「夏の感情」、秋には演歌っぽい「夜霧の街」をリリース。 でも、売上的には、この3曲は大ヒットとはならず、オリコン10位内に入らなかった。
☆この曲が流行った頃(1974年春〜初夏)
前年の秋、日本中がパニックになったオイルショック、狂乱物価も一段落し、曲がりなりにも春が来た。
・元日本兵小野田寛郎氏、ルバング島から帰還。
・荒井注ドリフターズ脱退、見習志村けん加入。
☆曲想
春の歌だが、72年の「ともだち」、73年の「早春の港」といった「出会い、恋の始まりの歌」ではない。
ここで、まずシンシアの持つ「季節感」が崩れた!
そして、次ぎに、もうひとつのキーワードであった「同世代感」も崩れた!
恋人と別れる歌詞だが、それまでの感傷に耽る少女の歌ではない。
やや強気で「どうぞ、去って下さい」「後悔はしません」「この別れで、もっと良い女になるわ」って、いきなり「大人の女性」になる。
・酒井政利プロデューサー談
「筒美さんは、『冒険的』な曲を作った。有馬さんの詞は、自意識に閉じこもった少女から、大人への一歩を踏み出している」(「Cynthia Anthology」ブックレットより)
☆ジャケット写真
曲に合わせたのか、衣装も表情も大人っぽく、キリッとしている。(でも、ちょっと老けて写っていないかな?)
☆私の感想として
まず、正直言って、この「バラのかげり」はリアルタイムでは、ほとんど記憶に残っていない。
可笑しいな?当時、歌番組を見るのを控えたわけでもないし、この曲よりレコード売上が低い「夏の感情」のほうはハッキリ覚えているのだが。
ベスト盤の「RECALL」とか「Cynthia Anthology」で「17才」から続けて聞いていると、確かに、この曲だけ、突出していう感じがする。
でも曲としては、後追いで好きなった。
アレンジは、エキゾチックなムードを醸し出して、サビの部分を歌いあげるところにグルーブ感がある。
・「大人っぽい」詞であること
その前作、「ひとかけらの純情」にある、「彼からぎこちない手つきで渡されたお茶にさえ、ときめく」少女に比べると、遥かに大人っぽい。
有馬三重子&筒美京平の第一期作品中(「17才」71年6月〜「想い出通り」75年4月)、歌詞の中の女性の設定年齢が、一番高く感じる。
ちなみに一番若いのは、好きな男性に「こんにちは」さえ言えない「ともだち」(72年1月)の中の少女だと思うが、この曲から「バラのかげり」まで、わずか2年!
恋人と別れたが、「哀愁のページ」や「ひとかけらの純情」のように、自意識に閉じこもる少女ではなく、今度は、「いつの日か、あでやかに現れてみせるわ」と宣言。これは「色づく街」で♪愛のかけら、抱きしめながら「女」になった姿ではないだろうか?
それまでのシンシアの歌は「等身大」というか、年齢相応で、同じ年代の女性ファンには「同世代感」を抱かせた。「17才」=彼と海辺で走る、「傷つく世代」=彼とケンカをする、「色づく街」=別れた駅で佇む。誰もが同じ経験をしただろうが、この曲でシンシアは、ファンを突き放したとも取れる。
むしろ、以前にも書いたけれど、この曲の一昔前、1960年代の若い女性歌手は、実年齢よりも大人っぽい歌を歌わされた。
伊東ゆかりさんの「小指の思い出」は、彼女が19才の時の歌だ。もっとも彼女は「こんな歌、恥ずかしくて歌えない」とかなり抵抗したらしいが。
☆このフレーズ
・バラのかげり
まず、題名だけれど「バラ」は、派手で華やかな花。でもいまひとつ、シンシアのイメージに合わない気もする。彼女は「百合」っていう気がする。その意外性を狙ったのかな?
・♪恋する朝は、バラの小枝を摘んで、あなたの足音、まったものなの♪
冒頭の歌詞だが、それまでの「彼と雨の中、待ち合わせた」とか「夕暮れの街角を一人で歩いた」に比べて、やや現実離れしているし、一昔前の歌謡曲調である。
作詞を手掛けた有馬三重子氏は、この6年前に「初恋の人」(小川知子歌唱)で、以下の歌詞を書いた。
♪野バラをいつも、両手に抱いて、朝の窓辺に届けてくれた
これは、男性の方が女性にバラを贈るものだが、発想は同じ。
ここらあたりが、シンシアをして「歌謡曲っぽい」とも言わせた所以と思う。私は、60年代半ばの歌謡曲を彷彿として、むしろ懐かしくさえ感じた。
・♪今頃駅に着くころね♪
想像を逞しくすると、同棲していたのを解消したようにも聞こえる。女性と暮らしていた部屋を出て、男が駅に着いたシーンを思い浮かべた。
とすると、時期的に、この曲に合うシンシアの年齢は、同棲中のけだるい生活を歌った「揺れる午後(1977年3月)」の後ではないか?その時、シンシアは23才。実際に「バラのかげり」を歌ったのは19才、まだハイスクール在学中。ちょっと早すぎた感がある。
☆74年最大のヒットなのに、
・紅白歌唱曲ではない。
前述したけれど、売上的には、13.6万枚、オリコン15位で、その年に出した「夏の感情」(10・9万枚、16位)や「夜霧の街」(9.5万枚、17位)を上回っている。
本来なら、この曲が暮れの「紅白歌合戦」で披露されるべきなのに、「夏の感情」で出場している。選曲は基本的にNHKだが、これはどういうことか?
やはりシンシアは、夏のムードがあるし、他の歌手との選曲のバランスもあってのことかな?
・「夜霧の街」と共にベスト盤でも外されているケースがある。
ただ「夜霧」の方は、ビデオ集「HELLO CYNTHIA」に収録されている。
シンシアが「夜霧の街を好き」とコメントした記事は覚えているが、「バラのかげり」に好意的なコメントは記憶にない。そのせいで外されたのかな?従って、Youtubeにも映像がない。
☆この曲をカバーした歌手
浅野ゆう子さんと麻丘めぐみさんがでカバーしている。ともに、1974年の時。浅野さんはシンシアよりも、妖艶で色気があるから、この曲がマッチすると思うが、この時、彼女は14才、中学生、いくらなんでも早すぎる。
(無題)
投稿者:
シンシアのファン
投稿日:2009年 5月 1日(金)21時33分28秒
ヨハナーンさん
「Cynthia Street」は、おそらくシンシアのファンしか知らないでしょうしね・・・。
ボクも、傑作だと思いますよ!
あと、個人的に好きなのは
「素顔のままで」と「哀しい妖精」です。
CDジャーナル5月号
投稿者:
ヨハナーン
投稿日:2009年 5月 1日(金)07時56分51秒
CDジャーナル5月号は特集が歌謡曲大百科です。
100人の歌手のアルバム100枚を徹底ガイド、として70年代以降100枚紹介されています。
その中の17(!)枚目が「南沙織ゴールデンJポップ〜ザ・ベスト」でした。
全体的に特に70年代はオリジナルアルバムよりもベスト・アルバムが選ばれています。
オリジナルの形で入手しづらいのでやむを得ないでしょう。
もし、Cynthiaのオリジナルアルバムで1枚、といったら何を選ぶか・・・と考えてしまいました。
「Cynthia Street」は一般向けではないしなあ、とか。
週刊文春2009年5月7・14日ゴールデンウィーク特大号
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)02時00分35秒
発売中の週刊文春のGW合併号、永久保存版です。巻頭・巻末の白黒グラビアでは、「アイドルという生き方」という8ページの特集を組んでいます。
現在活躍中のアイドル系の女性芸能人9人(一組はコンビ)の現役時代と今の本人インタビューを載せています。ほかに酒井ディレクターのコラムもあります。
これとは別に、153・4ページでは、花の中三トリオの三人の近況を伝えています。ほかに巻末に「懐かしの昭和高視聴率番組」という4ページの特集もあります。
週刊文春(2009.5.7・14号)特集1・2ページ
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)01時50分22秒
編集済
アイドルという生き方1・2ページ目
【アグネス・チャン】
−73年、「草原の輝き」で一気に頂点に登りつめた“香港から来た妖精”−
『さらしを巻いて歌っていたんです!』
一番大変だったのは言葉が出来なかったこと。最初に覚えたのは「私はお腹が空きました」。これだけ言えば死ぬことはないからと。デビューの頃は中国系だからと「中華丼」ばかり食べさせられました。十日間ぐらい続いて、もう食べられないと泣いたこともあります。
同期には桜田淳子さん、山口百恵さん、浅田美代子さんがいますが、交流はありませんでした。大人になって初めてしゃべった方もいます。当時のアイドル雑誌の対談って不思議なんです。相手と写真を撮って、握手してそれでおしまい。でも出た雑誌を見ると、いろいろ楽しそうに話している。本当はお互い一言もしゃべっていないのにね(笑)。
アイドル時代は「さらし」を巻いて胸を小さく見せていたんです。当時はどちらかというと胸が大きいのは恥ずかしいことでした。背が小さい割に、胸が目立つのが嫌だったんですね。サイズが合う服を着ると、胸だけ窮屈で、雑誌の企画で振袖を着る時、さらしを初めて使って、これはいい、と思ったんです。自然のままでいられる今のアイドルとは全然違いますよね。先輩は苦労したんですよ(笑)。
【麻丘めぐみ】
−73年の「わたしの彼は左きき」で一世を風靡した黒髪のお姫様−
『早く結婚し新たな人生を始めたいと思っていた』
私、昔から声が低いんです。でもそれじゃあかわいくないということで、高い声で歌ったり話すように言われました。本当の姿や本音を出しては駄目。人としての現実性を持たないように。そう要求されていたんです。
歌もきちんと練習したかったのに、その暇もなかった。アルバムの曲は当日スタジオに入って、ピアノを弾いてもらってメロディを覚えて、それですぐレコーディング。ですから今、シングルA面以外の曲は覚えていません。
地方の仕事でホテルに泊まる時は、鍵を持たされませんでした。部屋に入ったら、あとはルームサービスでご飯を食べて寝る。一人の人間として扱われない−。それが悩みで、十代なのに人生に疲れてました。ですから結婚して、新しい人生を始めたいという気持ちが強かったですね。私は二回目のデートでプロポーズを受けて、結婚したんです。男の人に免疫もなかったから…。
離婚して、三歳の娘を抱えて芸能界に戻ってきました。2000年からは演劇のプロデュースや演出を始めました。毎公演大変なんですけど、ものづくりの大変さと喜びを感じます。根っからの芝居好きなんですね。
週刊文春(2009.5.7・14号)特集3・4ページ
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)01時46分9秒
アイドルという生き方3・4ページ目
【岡崎友紀】
−70年、ドラマ「おくさまは18歳」でブレイクした“初代アイドル”−
『恋? 私の初恋は…』
初代アイドルって言われると、私って歴史の一部なのか、と思います。高校に入ってからの生活は家と学校と仕事場の往復だけ。だから今でもお付き合いがあるのは中三までのお友達。その後は友情を温める時間を過ごしてないんです。かわいそうでしょう(笑)。
マルベル堂さんの撮影、覚えてますよ。撮影では「指をこうやって」とか言われましたけど、心んお中では「恥ずかしいぁ、古くない?」と思っていました。日本でスヌーピーの知名度をあげたのは私かもしれません。中学生のときから漫画「ピーナッツ」が大好きだったので、スヌーピーのぬいぐるみを持ち歩いていましたから。カマトトとか言われながら(笑)。
実際の恋? そういう時間はなかったですね。勇気を出してくれる人もいなかったし。ま、初恋はスヌーピーってことで…。
【伊藤咲子】
−74年、「ひまわり娘」で鮮烈にデビュー−
『みちると結婚していたかもしれない』
最初は自分がアイドルと言われてもピンとこなくて。野口五郎さんのファンだったから、撮影のときに色紙を持って「握手してください!」なんて言ったくらい。
お付き合いをしていた(城)みちるとはお互い忙しすぎて現場でしか会えないから、そのときにステージの隅でちょっと手を握ったり、それで愛を確かめあう感じでした。あんなに純粋に人を好きになったことはないですね。
みちるのファンは怖かったですよ。ステージで「好きな男性は?」と聞かれて「田村正和さん」って答えたら「嘘つくんじゃねーよ」って。みちるに「怖かった」って言ったらそれがファンに伝わって今度は「テメー!チクリやがって」ですから(笑)。
みちると出会う時期が違ったら結婚していたと思う。今でも家族ぐるみのつきあいなんです。不思議な縁ですよね。
【大場久美子】
−78年、ドラマ「コメットさん」で人気爆発した“一億人の妹”−
『当時は男性が本当に苦手で』
「コメットさん」の現場はスタッフと仲がよかったんです。控え室でもタレントさんと話すことは少なくて編み物をしたりお裁縫をしたり。料理が好きだったから、時間が空くとスタジオの食堂の方にお願いして皿洗いをして息抜きをしていました。
恋も同級生はしていたけど、私はぜんぜん。顔の整った人が苦手で周囲にも目がいかず。着ているものを触られるのもダメでした。ファンの方との握手は平気だったんですけどね。何でだろう、子供だったんでしょうね。
ひとりで西城秀樹さんのコンサートに行ったことも。ばれないように帽子を深くかぶったのに。つい、「ヒデキ!」と絶叫しちゃって。ファンの囲まれて、どうしようと思ったら「ヒデキをよろしくね」と言われてホッとしたり。
アイドルだったことに悔いはないけど、昔の映像とか見ると本当に私なの?って不思議な気持ちになるんです(笑)。
【石野真子】
−78年に「スター誕生!」で16社からスカウトされた清純派−
『スカウトの挙手に不思議な気持ちに』
花の中三トリオがキラキラと輝いているのを見て、私もブラウン管の中に入りたいと思い、「スター誕生!」に応募しました。絶対スターになると確信があったんですが、スカウトの方々から手がたくさん上がったのを見た時には、「あ、上がった…」と不思議な気持ちでしたね。
自宅にいる時に、デビュー曲「狼なんか怖くない」を初めて聞かされました。黒いダイヤル式の電話口から、カセットの仮歌を流していただいたんです。
いったん引退し、復帰後はお芝居にも力を入れました。大河ドラマ「いのち」に出演できたんですが、それがキューバで大人気だったそうです。ある方に誘われてキューバを訪ねたら、空港に赤絨毯を敷いてもらって歓迎を受けました。
03年から音楽活動にも力を入れていて今年夏には、お芝居と歌を融合させたライブを実現できそうです。
週刊文春(2009.5.7・14号)特集5・6ページ
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)01時42分11秒
アイドルという生き方5・6ページ目
週刊文春(2009.5.7・14号)特集7・8ページ
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)01時38分53秒
アイドルという生き方7・8ページ目
週刊文春(2009.5.7・14号)特集5ページ目
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)01時35分2秒
キラキラコラム『アイドル第一号は南沙織』
酒井政利(音楽プロデューサー:CBSソニー時代に南沙織、天地真里、キャンディーズ、山口百恵らを世に送り出した)
アイドルの第一号は、南沙織なんです。それまでの日本には、「歌う青春スター」しかいなかった。1968年にCBSソニーが創立した時に、購買層の年齢も下がるんじゃないかと考え、私たちはアイドルをプロデュースすることにしました。
南沙織と会った時、私はすごい知性を感じたんです。そこで彼女を第一号として送り出した。彼女は沖縄からやって来た。海からやって来たイメージです。
そのちょっと前に小柳ルミ子がデビューしてます。ルミ子は言うなれば陸の人。さらに4ヶ月遅れで天地真里が出てきました。天真爛漫な天地真里は、空からやってきたイメージ。
こうして異なる三人のアイドルが誕生し、ブームとなったわけです。
同様にキャンディーズも三つの色を持っていました。最初はセンターは、スーだったんです。一般好みですからね。でもやがてランが光り出しました。それをファンも感じたんですね。
森昌子、桜田淳子、山口百恵の花の中三トリオも個性の点では同じ。百恵は南沙織タイプ。天地真里に通じるのは桜田淳子です。TBSのドラマで天地真里の後を継いだ浅田美代子も、その系譜に入るでしょう。
一方で太田裕美は、若いのに地味で健気。ニューミュージックの流れを持っている人ですね。それが「木綿のハンカチーフ」に繋がり成功したと思います。
百恵引退の年にデビューしたのが松田聖子。彼女は百恵のアンチテーゼなんです。百恵の時代は総じて重厚でしたが、時代は軽薄になっていく。その流れに沿ったキャラクターです。
今、爽やかなアイドルはスポーツ界にしかいません。芸能界では、周囲の大人が添加物を与えすぎている。もしも浅田真央ちゃんのように天然でも光る素材なら、きっと広い世代から支持されます。そういうアイドルが必ず出てくると信じています。
Re.アイドル第一号
投稿者:
トナカイ
投稿日:2009年 4月30日(木)01時23分9秒
情報ありがとうございます。いい写真が載っています。
週刊昭和
投稿者:
TANAK
投稿日:2009年 4月29日(水)00時46分25秒
週刊昭和、新宿紀伊国屋書店に買いに行きましたが、なんとその号が売り切れ。昭和45年と47年は棚にあったんですよ。それも束になって。
掲載されている写真は1971年8月20日の週刊朝日ではないでしょうか。1971年8月29日のサンデー毎日にも同じ撮影場所と思われる写真が掲載されているようです。
アイドル第一号
投稿者:
さとる
投稿日:2009年 4月28日(火)19時43分48秒
今、発売中の週刊文春(違ってたらごめんなさい、本屋で立ち読みだったので)
に、アイドルを特集したページがあり、(現在も活動中の人は、インタビューと現在の写真付き)
そこに、シンシアがアイドル第一号として載っています。
解説は、酒井氏です。小さなスナップ写真だけですが、それでも抜群に可愛いシンシアを見ることが出来ました。
以上は、新着順211番目から240番目までの記事です。
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